~はじめに~

この話はあくまでも個人的な体験談であり、親子の仲やその他人間関係について言及等をするものではありません。

また、私が受けた虐待等に関わる内容も一部含まれておりますので、読む際はくれぐれもご注意ください。

住民票の閲覧制限の手続きについては、あくまでも私が知りうる限りの話です。詳しい手続き方法等については、該当の役所に都度お尋ねください。

読んだ後の苦情等は受付できかねます、ご了承ください。

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ちなみに、閲覧制限の対象者は多数になる可能性がある。

たとえ直接的な加害者じゃなかったとしても、閲覧制限の対象者として申告しなければならないケースが存在するからだ。 

 

例)加害者:本人の母親

   本人は結婚し実家を出ている

    本人は夫と暮らしている 

 

この場合、一見母親だけに住民票の閲覧制限をかければいいように思うが、実は夫にも閲覧制限をかける必要がある。たとえ夫は本人に対して何も悪いことをしておらず、加害者でなくても閲覧制限の対象となる。

理由は、本人の母親に協力者がいたら厄介なことになるからだ。

例えば、本人の母親に兄弟(叔父)がいたとして、その叔父が本人の夫を名乗って住民票を取得することも可能だ。

更には、本人が何らかの事情で役所の窓口に訪れることができず直接住民票を取りに来れない時のために、本人からの委任状を提出すれば、住民票を本人の家族等に発行できるシステムがあることも関係している。

本人の母親に協力者がいた場合、大変厄介である。

そのため、役所で記入する必要書類の中には「私は委任状作成し家族等に住民票取得を依頼することはいたしません」等の署名をするものまであった。

 

私の場合、直接的な加害者である両親は勿論のこと、他親族に対しても住民票の閲覧制限をかける必要があった。総勢6人という結構な人数である。

役所で記入する必要書類内の加害者欄が足りず、欄外にはみ出して記入する結果になってしまい、提出する時に役所の人に対して申し訳ない気持ちになった。

 

そして、心配していた私に対する役所の方達の反応だが、当初想像していたような頭ごなしのお説教をされることはなかった。

「親に対してなんてことをするんだ」と言われたらどうしよう、申請が通らず親から逃げきれなかったらどうしよう等と相当悩んでいたのだが、私の地域の役所の方々は親身にきちんと対応してくれた。

むしろ「今までよく頑張ってきたね」と言われた時は、辛い気持ちとは別に込み上げてくるものがあって涙が止まらなかった。

一概には言えないが、役所の人達は閲覧制限等の手続きを通して私のような人を多く見ているだろうし、世間一般の人達よりも理解があるのかもしれない。

 

なんにせよ、私は相談に乗ってくれた友達や役所の方々のおかげで、ようやく安心できる生活を手に入れることができた。

 

友達に相談すると知り合いの不動産会社を紹介してくれて、家を借りることができた。

不動産会社は、親族に住所を知られるわけにはいかないという訳あり私に対しても、嫌な顔をせず親切に家を紹介してくれた。もし親族が来ても、知らぬ存ぜぬで通してくれると約束してくれた。

やっと現在の住所に引っ越し、住民票の閲覧制限をかけることができて心底安心している。

 

幸い、私には話を聞いてくれる人、協力してくれる人がたくさんいる。

私は運が良いだけなのかもしれないが、しかし、本気で親族から逃げる必要を感じている人がいるのであれば、諦めずに落ち着いて方法を模索してほしい。

私は住民票の閲覧制限という方法にたどり着いたが、場合によっては違う方法も存在するかもしれない。

 

逃げることは何も悪いことではないと思う。

我慢することに慣れてしまった人は、もう少し自分の幸せについて考えてほしい。

 

私は親のことがあって、結婚も出産も諦めることにした。

これは「虐待を受けた子どもが成長して親になった時、自分の子どもに虐待をする可能性が高い」という話を聞き、考え抜いた結果だ。

 

虐待を受け、辛い思いをした全て人が私のように結婚や出産を諦める必要はないと思う。

そうした人向けのセミナーや相談所等もあると聞くし、挑戦する人は応援したいと思う。

そもそも、虐待を受けた人全てが虐待をするわけではないのだから。あくまでも可能性の話だ。

 

ただ、私は諦めることにした。

負のループは私のところで止めたいと思ったし、私だけは絶対に大丈夫!等という謎の自信は沸いてこなかったのだ。

 

私はこの話を知る前、温かい家庭を築くのが夢だった。何故ならば、散々親から虐げられているからだ。

私が親になったら子どもにたくさん愛情を注いで幸せにしてあげたい、そう強く思っていた。

きっと私のように虐げられてきた人達の中には「お母さんになったら子どもには優しくしてあげよう」と思った人も多くいたに違いない。

しかし、それでも虐待に及ぶ可能性は高いのだという。

 

私は自分を信じることができないし、何かあったらセミナーや相談所を利用すればいいと言う人もいるが、私は何かあってからではもう手遅れだと思ったのだ。

 

こうして、時には人の人生を狂わせる結果に繋がるかもしれないという可能性を、私の親族は今後も理解できないだろう。 

人生においての分岐路の選択を、自分の希望とは違うものにしなければならない苦痛は果てしない。

私のように幼少の頃からの虐待等は難しいかもしれないが、可能であれば大事にならない前に、逃げられる人は逃げてほしいと思う。

 

今では、毎年年賀状等で友達の子どもの成長を見れることが楽しみだ。

職場の人が子どもや孫の話をしているのを聞くのも大好きだ。

少子化が進む中、子どもを産める健康体でありながらも産まない、私のような存在は世間のお荷物なのかもしれない。

さっさと消えた方がいいのかもしれないが、私は私なりのやり方で社会に参加していこうと心に決めた。

家庭を持っている方が土日の出勤をしづらいと言うのであれば積極的に出勤するし、お子さんの具合が悪い時は私が代わりに残業も請け負う、そんな風に。

私が手伝えることは少ないかもしれないし、大したことはできないが、それでも力になりたい。

私にはできなかったことをやっている人達を尊敬している。

 

今後も警戒を怠らないこと、親の行動範囲には近寄らない等の自衛をすることで自分の身を守り、協力してくれた人達の優しさを無駄にしないよう注意して日々を過ごしたい。

 

最後に、長文をお読みくださった方々へ

ここまでお付き合いいただきありがとうございます。