絶望の淵で考えたこと

 

もう十年以上も前の話。

 

まだ、自分がいないと会社が回らないと本気で思い込んでいた頃。

 

 

夜は会社に泊まり、早朝に風呂に入りに始発で自宅を往復してたあのころ。

 

 

ブラックな働き方だったにもかかわらず、やりがいや責任感をもって充実していたころ。

 

 

先輩から「普通に考えろ!」と怒鳴られ、「普通って何?」と悩んでいたあのころ。

 

 

担当プロジェクトを成功裏に終わらせて先輩に褒められ、会社に認められた時にまぶたの奥からじわっと流れてきた涙で、やり切ったと感じていたあのころ。

 

 

突然体が動かなくなり、心では頑張ろうとしていても体がついてこなくなった。

 

 

たぶん、体は悲鳴を上げていたんだと思う。

 

 

どんなに過酷な状況でも、耐え抜かなければらならない、そう思い込んでいた。

 

周囲の同僚も優秀なやつばかりで、彼らですら必死に努力している。

 

激流に飲み込まれて海のもくずとなってしまわないように、必死に仕事にしがみついていた。

 

 

でも、体が急に動かなくなって、

 

物理的に動かなくなって初めて

 

少し休もう、、、、、と思えた。

 

 

 

走りぬけることしか考えていなかった僕は、長期入院をして

 

季節の移り変わりを感じれるようになった。

 

 

おなじように体が動かない、おじいちゃんとリハビリとして

 

一緒に散歩をしたりした。

 

綺麗な緑色の田園風景が、黄金の稲穂を付けて輝くまで

 

一日一日ゆったりとした時間を過ごした。

 

 

 

ただ、入院している間は体が容赦なく痛くて、

 

夜寝ている時にも「痛い、痛い」とうっすら涙を

 

流しながら寝言を言っていたみたい。

 

 

あとで、同室だった入院仲間から聞いた。

 

 

 

この時は、これまでの人生で一番きつかった。

 

 

原因がわからず、治る見込みもあるかわからなかった。

 

 

一緒に入院していた患者仲間の2名は、体の痛みが消えない

 

ことを苦に自ら命を絶った。

 

 

衝撃だった。

 

悲しかった。それと同時に怖くなった。

 

明日は我が身と感じて震えた。

 

 

 

でも、簡単に死ぬわけにはいかなかった。

 

 

死にたい、とは思わなかった。

 

 

何か方法があるはず、と思った。

 

 

 

あとで病名は知ることになるけど、聞いたこともない病名だった。

 

保険申請する時にも、保険がおりないとかトラブルになって、

 

医師に保険申請の手伝いをしてもらったほど。

 

 

 

あの時支えてくれた先生には本当に感謝。

 

特に患者にやさしく接してくれるわけではなかったけど、

 

いつも平常心で、淡々と苦しむ患者に向き合ってくれた。

 

 

 

当時、結婚したばっかりの妻には本当に心配をかけてしまった。

 

妻にしてみれば、僕の体のことも心配だっただろうが、自分の将来もどうなるのか心配していたに違いない。

 

 

でも、そんなことは態度にすら出さず、優しく支えてくれた。

 

 

時には、治らない体の痛みに怒りや悲しみ、愚痴をこぼす僕をそのまま全部包んでくれた。

 

 

ありがとう。

 

 

 

 

絶望の淵に居た時の心情はこうだ。

 

痛い。苦しい。チキショー、何で俺がこんな目に。

 

痛い。痛い。痛い。

 

 

治る見込みがないのか。

 

いや、治るはずだ。

 

今はゆっくり休養しなさい、という事だ。

 

休んでいれば治るはず。。。。。

 

 

痛い。痛い。痛い。

 

 

 

 

そういえば思い出す。

 

元気だったころ海にダイビングに行ったときのこと。

 

 

深く、深くいくと目を凝らしても

 

光が感じられず方向感覚を失う感じ。

 

光がないと、急に不安になる。

 

 

 

砂漠で街の明かりも月明りや星もない夜。

 

本当に真っ暗で、何も見えない。

 

1m手前ですら何も見えない。自分の手すら見えない。

 

 

光はその存在だけで希望になる。

 

 

光がないことで、光の大切さを知った。

 

 

 

 

自分にとっては苦しい半年だったけど、

 

この苦しい気持ちを30代で味わえたのは良かった。

 

 

 

そうでないと、今の僕はいない。

 

 

それまでは人生、流れ、流され、生きてきた。

 

世間の価値観に染まって生きてきた。

 

 

 

でも、自分のやりたいように生きるように変わった。

 

言い訳はしない。

 

言い訳は、未来の自分に申し訳ない、と思った。


 

今を精一杯生きることは、未来の自分との約束を守るようなものだ。

 

 

会社のみに給与を頼っていた僕は、会社で働けなくなることは家族を露頭に迷わせることになるのではないか、と不安で仕方がなかった。

 

 

それこそ、体が痛い中休職して入院している最中も、どうやって収入を得たらいいのだろうと考えていた。

 

 

あれだけ恐怖を感じていた不動産に真正面からとりくめるようになったのも、この経験があったからだ。

 

 

もともとビビで慎重な性格も幸いした。

 

 

あらゆるリスクを調べその対処法を検討した。

 

 

リスクを100%無くすことはできないけれど、

 

過度にリスクを恐れて、チャレンジさえできないと

 

収入を会社のみに依存している状態から脱却することはできない、、、、そう感じていた。

 

 

不動産にチャレンジできただけでも、絶望の淵で過ごした半年間には価値がある。

 

 

あの苦しみが無ければ、ゼロ円マイホームも作っていなかったに違いない。

 

 

今日の自分が明日のジブンを創る

 

明日のジブンが、未来のジブンにつながる。

 

 

過去の自分がどうだったかはマジで無関係だと気付いた。

 

 

 

過去は今の自分の解釈で決まる。

 

 

未来のジブンは、今日の自分と明日のジブンの積み重ね。

 

 

 

たまに絶望を味わうのも悪くない。

 

 

絶望も有意義に使えば明日への希望になる。

 

 

これまでの自分がいかに恵まれ、幸せだったか感じる事が出来る。

 

 

 

ただ、絶望の淵でそれに気づくのは難しいのだけど。。。