自分の手で家を建てたい
なぜか、よくわからないけどぼんやり、【自分の手で家を建てる】ことを夢見ていた。いわゆるセルフビルドってやつだ。
高校生の時に訪れた、セルフビルドの建築現場がきっかけだったのだろうか?
街の建築現場がきっかけだったんだろうか?
自分でもよく覚えていない。
ただ、何となく建築現場の様子を眺めるのは好きだった。
いろんな重機がせわしなく活動して、ヘルメットをかぶった現場作業員が大勢、同時並行でいろんな作業をしていた。
今日よりも明日、
明日よりも明後日、
少しずつ完成に近づいているのが見えるのが楽しかった。
大学を卒業して、いざ就職活動をし始めたときにはすっかり「セルフビルド」の夢は忘れていた。
いや、忘れていたというより、現実を見て夢は一旦おいていたように思う。
就職活動は私にとって夢ではなく現実そのものであった。
当時の私にとって(いや、今でも)夢と現実は相いれないものであった。
つまり、夢を取れば現実が困窮し、
現実を取れば、夢は手に入らない、そう考えていた。
就職活動のポイントは自分の好きなことをするというよりは、
❶自分を鍛えてくれる試練を与えてくれる場であること
❷自分が世の中に何かしらの影響を与え、自分の存在意義を感じれること
❸仕事を通じて世の中の仕組みが知れること
❹稼げる業界であること
この4点を軸に選んだ。
このうち、❶、❷、❸ははっきり言ってどんな仕事でも自分の取り組み方次第で満足できると思われた。結局は最後の❹で選んだのだ。
❹つまり、お金である。
私は、特に貧乏な家庭で育ったわけではないが、節約や我慢が染み込んだ生活に慣れ親しんでいた。
欲しいものも我慢し、勉強やスポーツも我慢(努力)で乗り越えてきたような気がする。
なぜだか自分の「好き」に正直になれなかった。
そのために就職先リストには「セルフビルド」の夢につながるものは一つもなかった。
生き抜くための就職と、割り切ったから。
就職して、それなりに一生懸命歩いてきたつもり。
でも、どこか夢を置いてきたことで、こころに穴が開いているような感覚が出てきた。
不動産投資はお金を稼ぐ手段だったような気がする。
それなりに楽しくもあった。
実際に結果が少しずつ見えるようになり、稼げるようになってきたからかもしれない。
でも、そんな実利はどうでもよいのだ。
単に自分の手で作ってみたい。
完成させてみたい。
ひとつずつ、困難を乗り越えながら形にしていく。
土地がデコボコしていれば、整形して平坦にしたり
業者も必要かもしれないが、できるだけ自分の関わる部分を大きくして
自分が作った、と言えるものが欲しい。
建築基準法や、電気、水道、ガスの整備、全部わからない。
でも調べながら、わかる人に聞きながら、行政に聞きながら少しずつでも進めていきたい。
そんな衝動が40を過ぎて自分の心の奥底にまだ湧き上がってきている。
まだ夢への渇望が消えていなかったのに気づけたことがうれしい。
絶対実現したい。
今すぐでないとしても。