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このブログでは、「総腸間膜回転異常症・腸回転異常症・腸間膜回転異常症」で生まれた私の、
成長期、闘病記のような記事を書いていきます。
「この病気を持って生まれた者の一人が、このような人生をたどった」ということが、
誰かの参考になれば良いな、というだけで記事を書いていきますし、
この病気の子を抱えた親の視点ではなく病気に抱えていた側の視点ですので、
独りよがりな文章も多いと思います。
お時間があれば、プロフィールからご覧下さい。
病気の詳しい内容や医療に関する知識を得るためのブログではありませんので、
そういったことをお知りになりたい方は、時間をとても無駄にしてしまいますので、
このブログの記事を読まないようお願いします。
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このブログに辿り着く方は既に医師から一通りの説明を受け、
多くの情報を集めておられるはずですので、
医師でもない私があらためて詳しく病気を説明する必要は無いと思います。
私自身、医師の論文等によって
総腸間膜回転異常症・腸回転異常症・腸間膜回転異常症
といくつか名称の違いがあることを理解していませんが、
とにかくざっくり言って、
赤ちゃんが母親の胎内にいるときにうまく腸が完成しなかった、
ということなのでしょう。
念のため書いておきますが、母親は悪くありません。
絶対にご自身を責めないで下さい。
ご家族その他の方は、赤ちゃんのお母さんを絶対に責めないで下さい。
子供はこの病気のことで、お母さんを、あなたを、恨んだりしません。
私自身も(少なくともこの病気のことで)母親を恨んでいません。
先天性の病気ですし、染色体異常等、他の病気も持って生まれてくる子もいると思います。
私は...染色体異常等の検査をしたことはありませんが、やはり少し苦労は多かったと思います。
(苦労自慢のようになるのは嫌なのですが、進んでいく中で触れます)
私が生まれたのは1970年代前半(昭和40年代)ですし、
今のように医療は進んでおらず、
いわゆる「すぐに死んでしまうであろう子供」という程度の扱いだったようです。
私も、生まれてすぐに死にかけたようです。
ミルクがうまく腸を通らず、吐くばかりですから当たり前ですね。
医師には見放されたようで、母親は「自宅で看取る」と言って
私を家に連れ帰ったそうです。
しかし、幸いなことに私の場合、まったく腸が通らなかったわけではないので、
吐きまくってガリガリに痩せながらも、
少しずつ、少しずつ、水分と栄養を吸収して、なんとか生き延びました。
1歳半の頃に、やはり必要な栄養と取れる栄養のバランスが取れなくなり、
病院で点滴暮らしとなったようですが、当時の医療では病名も原因もわからなかったらしく、
小児癌とかいろいろな病名を付けられていたそうです。
このときも医師には見放され、母親は「自宅で看取る」と言って
衰弱した私を強引に病院から連れ帰ったそうです。
自宅に連れ帰れば点滴も受けられませんし、
脱水症状なのに水分を取らせることが出来ないという、かなり危うい状態だったと想像しますが、
スプーン一杯の白湯や薄いスープ等から地道に水分と栄養を吸収させたそうで、
ここもなんとか生き延びさせてもらいました。
次の記事に続きます。