たましいがこの世でヒトの形になる時、
言葉を使う。利用する。
言葉を使うのは個人であり、
個人は活動する。
では言葉を覚えていない赤ちゃんは個人ではないのか?
ちゃんとした個人である。
おぎゃーっと声を発した瞬間。
では何らかの事情で声を発することのできない赤ちゃんは個人ではないのか?
ちゃんとした個人である。
ヒトの肉体として固有の周波数を発しており、
みんな個として生きる。
やがてヒトの形を脱した時、いずれたましいに帰る。溶け込む。
わたしは自分の人生で、死生観を標識にすることがよくある。
「どうせ死ぬのだから」という言葉も
前向きなこととして使う。
人は他人によって自分の存在を確認することがある。
それでいい。
あなたもいる。
わたしもいる。
しんどいこともあるよ。
苦しいこともあるよ。
今日もまた、一日が過ぎてしまったと後悔することも。
それもあっていい。
同時に
喜びも
嬉しさも
感動も
あるのだから。
休むことも活動することも、魂にとっては行動しているということ。
毎日同じようでいて、確実に昨日のあなたとは違う。
それと同じように1年後のあなたは今日のあなたとは違う。
1年後のあなたになっている。
細胞も、魂も。
もっとあなたで、
もっと自由に、
大いに経験を。
堂々と。
大丈夫だよ。
今日も存在していてくれて、
ありがとう。

