一時的であれ、非二元により心が軽くなっている人がいるのも事実だと思います。
でも、非二元により闇に迷い込んでしまう人がいるのも事実です。
これはわたしが感じること、です。
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非二元(ノンデュアリティ)について伝える時、
「非二元の"哲学的には"~・・・」、「非二元の"思想で言えば"~・・・」
などという言い方ならよかっただろうになと思います。
あくまで側面として。
あるいは非二元を絡めたものとして。
それならば、もっとヒントになる人もいるでしょうし、
混乱する人も少ないように思います。
スピーカーさんとて、その方が活動しやすいのではないかと思います。
...西洋経由の非二元は、いつしか非二元教のようになってしまいました。
非二元さんのある人は
「これは教えではなくお知らせです」
と言います。
・・うまい逃げ口だなと思います。悪気はないのかもしれませんけれど。
妄信している人には矛盾さが届きません。
信じたい時には、その矛盾さを何とか自分の中に丸め込めようとします。
違和感をごまかしながら。
ノンデュアリティって横文字、なんかカッコよくも感じのたかもしれません。
なんとなくしっくり来た人には、
これで誰かを助けられるかも、
これでお金を稼げるかも、
少なからずそんなことも頭をかすめたのかもしれません。
憧れもあったかもしれません。
...純粋な人ほど、非二元に迷い込むように思います。
心がやわらかで美しく、優しい人は、その経過途中で自分を責めて追い込んでしまいます。
だからこそ、西洋経由の非二元って扱うのに注意が必要。
人を導く行為っていうのは、安易なことでもなく、生易しいことでもありません。
それでも「非二元」を使い伝えたり導いていきたいのなら、
何も言わず、一切を語らず、
ただ黙々と生きる、
実際のところは、それしかないと思います。
非二元さんが生きていようが生きていまいが。

