わたしはLINEもやっていないし、
コロナのワクチンも一度も打っていない。
大勢の人がこれらをやったやっているからといって、
わたし本体は困ったことはない。
せいぜい特典にありつけなかったりするぐらいだ。
やっている人批判ではない。
好んでやる人はそれでいいと思う。
今のわたしには必要のないもの、と選別しているだけの個人の話である。
だから別にLINEをやっていないことを恥ずかしいとも思わない。
本当はやりたくないけど皆がやるから・・・と流される人が"困る"占める部分ってのは、
おそらく「気持ち」なんだろう。
例えばLINEにしても、集団生活の中でどぉーーしてもやらざるを得ないのなら、あくまで淡々と連絡のみで。それ以上の関わりを持つことをしないと決心することだってできる。...が、そうは簡単にいかないのがLINEの世界らしい。
そーいうのも面倒だ。
わたしは自分で選択している。
(全自動ではなくてね、笑。)
時々言われる。
「あんたのようにみんな強くないよ」
と。
選択することは強い弱いなんだろうか。
話はそれるが、
メンタル疾患に埋もれていた時、選択ということができない場面がいくつもあった。
判断ができない自分がいた。
頭が明確ではない自分。寝ているのか起きているのかわからない自分。
流されてるんじゃなくて、"芯たる自分がいない"から選択自体もうまくできない。必死に自分をつかもうとするけれど、薬のせいで余計にそれを遮断される...。
...さらに話がそれるけどネオ非二元さんたちは、物質3次元に生きながら、
本当にこの「自分がいない」というコトの悪影響や恐ろしさを知っているだろうか..。
...それはまたの話にして。
さて。
今、私は選択ができる。
長期に服用した西洋薬の後遺症はあるけれど、自分で選択できるありがたい力がある。
選択することを強さ弱さとするのは、
周りを過剰に気にするからだ。それが足かせとなるのだろう。
協調も大事。
集団の中で気遣いも大事。
他人の意見も大事。
柔軟性ももちろん大事。
でも、
最後は自分の意志で選択する。
そうしないと、
結局誰かのせいにする人間になるよ。
そして、他人の選択をけなし合うんじゃなくて、尊重し合って、方向転換もしてってのが、
大波小波の感情を、生きることに使える人間の姿でもあると思う。
心配しなくたって
大丈夫だよ。
もしもそれが自分には合わない選択だったと気づいても、
道を曲がりながら、
ちゃんと、大いなるものが味方してくれるから。
