人間は、
その人という筒を通して出るものがあります。
そして、
苦しみや悩み、葛藤、
それらを感じ、学ことから出るものもあります。
噛まねば味がわからないように、
体験、経験、というものをし、
だからこそ出てくる光があります。
わたしたちから出てくる最初の光の形は様々です。
色も様々です。
やがてそれらは何とも言えない、今度は形のない、距離のない、巨大でやわらかな光へと統合します。
それに代わるものは有り様がありません。
暗黒ではありません。
光です。
苦しみも喜びも、"はっきりと"それらを体験しなければ光と統合することはありません。
とても大まかに言えば、
わたしたちは光から派遣されてきているようなものでして、
つまりその光はわたしたち自身でもありますが、
ではなぜ、元々光なのに、またこの世界に降り立ったのか。
魂の経験と自分たちの肉体をもって体験することしか生まれない光を出すためです。
それは新生でもあり浄化でもあり、無でもあります。
ここは物質であふれる世界なので、
経験や体験を、多くの人はモノを得ることだと勘違いします。
それもいいでしょう。
それは手放す、解き放つきっかけにもなります。
そしてそれ以外の本質の部分で、わたしたちはすでに足りている、
それも知ることになります。
物すべてが悪いわけではありません。
すべてはそれを扱う心ひとつです。
また、汚れたものを洗濯機で洗うこともいいのです。
今、その時代に生きており、この時代の学び方があるからです。
洗濯機を生み出した知恵は愉快な遊びでもあり、偉大なことでもあり、
それらにより人は他に費やせる時間もつくることができました。
タイトルにしました「楽を選ばぬがよろし」とは、
便利なものを使うなということではなく、
その苦しみから逃げなくてもいい、ということなのです。
今わたしたちが
つまづいているもの、苦しいこと、
そこを通ることは、
わたしたち個々を通して出る光があるということであり、
この世界に必要なものです。
そこを抜けることがわたしたちひとりひとりの役割ともいえるのです。
必ずわたしたちはそこを何らかの形で通過することができるのです。
それは光の道なのです。
だからこの世界には、わたしたちが、あなたが必要です。
今の苦しみが、行き詰まりのように思えるでしょう。
でも詰まりなら、詰まりが取れた時、水が流れ出します。
間違いなく、あなたの中の何かも変わります。
そのようにできているのだから。
だから大丈夫。
大いなる何かの助けも必ずあります。
ちゃんと、肉体として存在している理由が、あるのです。
今日も存在してくださって、ありがとう。
