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‥…━━ 光と水✧˖°

最近わたしは

ノンデュアリティ非二元(ナイナイ非二元)を研究材料としてみることがあります。

 

といっても、時々集中的にこのように記事を書いたり、見聞きしたりするものの、

それに掛ける時間は全生活のほんの一部です。

失礼ながらそこまで非二元に費やしている時間はないので。(もったいないので)

...触れざるを得ない状況は時折ありますが。

 

まあそんなんで、

非二元さんたちのことも含め、このノンデュアリティ非二元のことは、

以前とはまた別の距離感で見ていたりします。

で、相変わらずだなと思うこともありますが、なるほど人間の心理状況というか、そんなのも垣間見えたり、研究材料としては興味深いかも、と考えたりしています。

まあこの研究内容は追々として。(発するかもわかりません..。)

 

非二元(ノンデュアリティ)に異を唱える人は必要で大切な人たちだと思っています。

おそらく言わなくても疑問を持っている人たちはいるのです。

発しないのは、わたしのように面倒という人もいれば、ふーん、で流している人もいると思います。

あるいは言いたいけれど言葉にまとめられない、とか、

言えずにもやもやしているとか。(どーせ人は誰もがいつかこの世を旅立つ、言いたいことは言ってもいい、心配するな。)

 

異を唱えるのは、不快感や意見の相違もそうかもしれませんが、

少なからず悪影響を感じる面もあるからだと思います。

わたしもそれは思います。

以前も書きましたが、メンタル疾患を患っている時にこのナイナイ非二元は本当に気を付けてほしいと思っています。

 

それは正義感とはまたちょっと違う…、異を唱える人というのは、それなりに探求や経験もしてきている方だと感じますので、

だから、いや、これはこうで、こうだから、こう思う、というのをちゃんと発することができます。("ない"の言いたいこともわかっているので)

しかも相手の声もちゃんと聞く。

たとえ相手が鼻息を荒立てたとしても、決して対立したいわけではない。

対立したいわけではないけれど、発するというのはとても力のいることです。

 

公に異を唱える人の声は、多いわけではありませんし、貴重です。

本心は不安な人の心のグラグラ感を和らげるし、暗かった道を照らすことにもなる。

方向転換したい人にとっては足元に落ちていた地図を拾うような感覚でもあるかもしれません。

 

これ、ノンデュアリティ非二元が悪いとかの話ではなく。

ノンデュアリティ非二元に限らず、こういう精神面に働きかける類は、

これしかない!と思うことが視野を狭くさせてしまいます。

異を唱える声は、多かれ少なかれ、狭くなったそれを広げる役割もするのです。

(否定されている、と感じる人には、拒絶感から余計頑なになることもあります)

 

わたしもノンデュアリティ非二元(ナイナイ非二元)は疑問を持っているひとりですので、

なんだか自分を正当化しているような内容かと思うかもしれませんけれど、

これはごめんなさい、どーしようもないわたしの俯瞰視で話をさせていただいております。

 

ちなみに、これも以前から時々言うことですが、

わたしの声もこれがすべてとは思わないでください。

信奉なんて間違ってもしないでください。

 

わたしもまだまだ修業の身です。

まだまだ学んでいる最中です。

 

さて、地球で魂が成長するには、

わたしは肉体は必要だと思っていて、

そこには「わたし」という個人が当然あるものと思っています。

そして「"他"と接する」これもまた重要な要素だと思います。(相手は人間だけとは限りません。)

"それぞれ"があるから、絶妙なタイミングも生まれます。

 

全自動ってのはどうして自動するのか。

それぞれのかみ合わせだからです。

 

それでいいし、あっていい。

 

だから、最終的に魂は溶け込むものだとしても、

そんなのはわかっていて、

とにかく今は、現実ってものを生きているのだから

ないとかいないとか、つべこべ言わずに

この今を「私」として生きていく。

 

なぜ目の前に苦難や問題が現れるのか、

乗り越える、それが経験であり、成長だからです。

それは大いなる魂への協力、でもあります。

つまり、他者への協力でもあるのです。

 

ふわふわと「あらわれている」「わいている」等々。

それは時と場合によって使うことはあれど、

それを全体的なベースにすることは、

足を宙に浮かせるものだと思います。

 

そういう面もある。

それだけでいいと思います。

 

人それぞれに生き方があります。

非二元さんたちも、結局はノンデュアリティ非二元に生きている、ということでしょう。

 

そうでなければ、

非二元を語ることすらないはずなのですから。

 

 

 

感謝✧˖°