量子学的な複雑な部分は省くとして、
単純に"そのものは"過去には戻れない、という意味においては
時間は一方通行です。
ですから、
あの時ああすればよかった、
あの時ああだったら・・・
と、どんなに思っても
その場所に戻ることはできません。
それを実感として気づかされるのは、
誰かの「死」でもあります。
ここ数年は本当に亡くなる方が多い。特に今年。
YouTubeのチャンネルの方でも以前、ご家族を亡くされたことをコメントくださったご視聴者様がおられましたが(いつもありがとうございます^^)、
わたしの身の回りでもお見送りが多いですし、またわたし自身も、先日今年に入って二人目の身内の旅立ちを見送ってまいりました。
その時にも葬儀社の方から「(亡くなる方が)ありえないぐらい多い」ということをお聞きしました。
(…正直言うと、もしかしたら注射のせい??、とよぎることさえあります。その話は今はさておき。)
原因は何であれ、
「死」というものから「生きる」を得る、というのは貴重なことであります。
これに関して言語化するとすれば、私の技量ではひと言で伝え切れないのですが、
いわゆる「死生観」を持って生きると、人は時間を大事にできます。
「死生観」です。生死観ではありません。文字的にも死が先にきます。
これまでも生命としての「死」に絡めて各所でちらっとお伝えすることはありましたが、
これからも益々、…時に応じて、この死生観から感ずることをお伝えしていくこともあろうかと思います。
これを書いているわたしも、
読んでくださっている読者様も、
いま、この世、に生きているということ。
そしてわたしもあなたもいずれ、肉体を脱します。
生きることにおいて、誰もがいつも穏やかでいられるわけではありません。
誰もがいつでも活発に動けるわけではありません。
しかし「生きる」ということを感ずることはこの今だってできるわけです。
たとえば、呼吸・・・
ほら、生きている。
今日をどう向かうのか、
戻れない過去に縛られず、どう歩くのか。
そこに必要なことは何か。
人によっては動き始めることであります。
人によっては休息であります。
一方通行の時の中で、
今あるものをどう使うか、
それはわたしたち次第なのです。
今日がお互いにとって良き日となりますよう...![]()
お読みいただきありがとうございます。

