結局裁判は決して納得のいくものではなかった。
真実を読めば、裁判とは、法とは何かを考えさせられる。
異常な状況と心無い医師がのうのうとまかり通り、
わけのわからない行政と法の渦の中に、
その命と事実までが葬られるなんて、どう考えてもおかしい。
しかし、女性の母親が残してくれたものがこうしてあるから、
この事実を知った者たちは、その魂を葬りはしないだろう。
そして、もうひとつ言いたい。
生まれた命は何も悪くはない、ということを。
この女性は生まれる命と自分の命を引き換えにしたのではない。
むしろ生まれる命と愛する家族と、
この世を共に生きる為に、出産した。
だから自分が死ぬなどとは思わなかったはずだ。
だから最後まで生きようとしたはずだ。
どんなに苦しかっただろう、怖かっただろう。
残されるご家族をどんなに心配されただろう。
もう一度言う。
命を失ったのは、自分の子どもを生んだからではない。
医療ミス、人為的ミス、
医療過誤である。
生まれてきた命には何も責任はない。
悔んでも終わりがないが、
死という命、生まれた命、今も生きる命があるからこそ、
これから先も伝わることがある。
わたしたちは思い出せることがある。
教えられることがある。
それは何にも計れないほど重みがあることだ。
一段と冷たい空気に変わっていくこの季節に、
思いはどうあれ、ご家族たちには、あたたかな飲み物が入ったカップを両手に掴んでいることを心から切に願う。
この記事の投稿時現在、
軽井沢病院の産婦人科は、基本的には金曜日の予約診療、妊婦については妊娠30〜32週頃までの健診のみである。
出産に関してはその後分娩取扱い病院に紹介される。
が、2022年3月いっぱいでその妊婦健診業務も終了されるという。
(こういった事態は日本全体の問題で、決して珍しい話ではない)
つまり、軽井沢病院で新しい命が誕生することはない。
しかし、こうなったのはあの事件があったから、と思うのは早合点である。
複雑ではあるが結果的に、当時あの事件によって、
幸せなはずの妊婦たちに、その後不安や嫌な思いをさせることを広げずに済んだともいえる。
それに、むしろあの件が原因であるのならば、尚更誰もが納得する体制で
安心して出産が出来るようになること、が当然大前提であったであろう。
真実を見ず、訴訟というだけで、産科医を減らすと責めがちになる。
たしかに、その中身を外部から読み取るのは難しい。
しかし、慢性的な医師不足は、また別のところに根深い話のようにも思う。
移住で人口が増えるのはありがたい、だけど子どもはこの町では産めないよ。
それが今の軽井沢である。
妊婦たちは居住地以外の医療を頼る。
それにより今度は近隣の医療施設にしわ寄せがいっている。
日本全体が抱える問題を、軽井沢町も突き付けられている。
医師不足、
医療体制、
高齢化社会、
これから益々課題となっていく。
東京24区の幻想(きつい言い方だがこの瞬間ではそう言うしかない)を観て、
いっ時であれなんであれ、
移住を検討する人たちが増え続けている。
その分医療は必須になる。
現状がどうであろうとも、
この世に生まれようと芽生えた命は、
輝きを放ち、
喜びに満ちた母の中で、
世に出るのをスタンバイしている。
この本を読んで、読み返して、
誰かが、わたしたちが、
あの医療ミスのことを知ったり、思い出すことは
意義深く、戒めとなる。
風になったしいある 新装改訂版 鈴木美津子(文芸社)
④へ (後記、二冊の"「風になったしいある」について"含む)
