風になった命と生まれた命に敬意を込めて
多くの人が好きな軽井沢は、東京24区の軽井沢だろう。
憧れや自分にとって特別な場所は、恋と同じで錯覚を伴う。
人もいい人ばかり。(きっとそうに違いない)
何もかもがおしゃれ。(に見える)
考え方も洗練されている。(だって軽井沢でしょ)
サービスもいいんでしょ。(大切に扱ってくれる気がする)
当然行政も優しいのだろう。(だってこんなにいい所だもの)
・・・通りの空き店舗の現実には目を伏せながら、
多くの人は自分の思い描く夢を観る。
軽井沢には特殊な土地の氣がある。
若い時に国内を放浪してきて言えることは、国内には特段特殊な場所というのはいくつかあり、
軽井沢もそのうちのひとつである。
軽井沢マジックは期待と幻想を、憧れる者の中に映しだす。
しかし、
軽井沢は、東京ではない。
あなたの好きな軽井沢は、おそらく行政も医療も強固ではない。
町内を走るバスの本数だって少ない。
しかしそれは、軽井沢に限らず多くの自治体が抱える現実だろう。
軽井沢への錯覚。
あの病院までもおしゃれと思わせてしまう。
移住者も移住希望者も後を絶たない注目の町。
そのほとんどの人がまずは中身よりもブランドに引っ張られている。
軽井沢に移住するとは、軽井沢という特別なルールの中で生活することであり、
軽井沢町は、今こそ他にはないルールを、恐れずに明確にはっきりと示す必要もあるのだろうし、
住む人の安心を整えることも同じように大事なことであろう。
人口だけ増えてありがたいと言っていても何もならない。
やがて期待は失望へ変化する。
今から書くことは誰かや何かへの非難のつもりではない。
・・・いや非難になってしまうのかもしれない。
どうあれ、こういうことがあったということを、
特に軽井沢が好きという人に、知ってもらうきっかけになることを願う。
これは軽井沢で起きた事実である。
2003年10月、
軽井沢で新しい命が生まれ、
尊い命が、
消えてしまった。
亡くなった命の死因は、
帝王切開による出血多量死
この本は、その壮絶な事実についてご遺族が残した本である。
