わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき・・・・・・


詩:茨木のり子さん「わたしが一番きれいだったとき」【『おんなのことば』(童話屋の詩文庫)】 より
『わたしが一番きれいだったとき』茨木のり子さんの詩全文の朗読:クリック

映画(Ⅰ)「この国の空」上映:戦時下を生きる男女の許されない恋。谷崎潤一郎賞を受賞した高井有一氏による同名小説が原作。
 ご存知のように、茨木のり子さんの「わたしが一番きれいだったとき」は多数の国語教科書に掲載され、最も有名な詩のうちの1つです。

映画「この国の空」公式サイト(上映情報あり)


戦後70周年記念映画「この国の空」予告編
 脚本家・荒井晴彦氏が18年ぶりにメガホンをとった。谷崎潤一郎賞を受賞した高井有一氏による同名小説を原作に、戦時下を生きる男女の許されない恋を、二階堂ふみと長谷川博己の主演で描いたもの。終戦も近い昭和20年。東京・杉並の住宅に母と暮らす19歳の里子は、度重なる空襲におびえながらも、健気に生活していた。・・・・他キャスト:富田靖子・利重剛・上田耕一・石橋蓮司・奥田瑛二・工藤夕貴:神奈川県では小田急線・「新百合ヶ丘駅」下車『アルテリオ・シネマ』10/17~11/1(月休演)


映画(Ⅱ)「GAMA(がま)月桃の花」沖縄戦を描いた作品
監督:大沢 豊 音楽:海勢頭豊 主演:朝霧 舞 平良とみ

10/18、10/24上映:川崎市中原区「市平和館」にて
 主婦や会社員らでつくる川崎上映実行委員会の大塚真一事務局長(62)は「基地をなくし、戦争に加担しない平和な沖縄、平和な日本を目指したい」と上映に意欲。

申し込み定員制:詳細は、『東京新聞』ニュースページ:紙面は10月8日22面トップ

「月桃」「GAMA(がま)月桃の花」主題歌(西仲美咲 with 国吉なおみ)

 2007年ベルリン映画祭参加作品。太平洋戦争当時の沖縄戦終結50周年を記念して制作された。
この映画のモデルとなった安里要江(あさととしえ)さんの実際の体験より

 【安里さんは沖縄戦で9人の家族全員を失なってしまった。その体験は沖縄県史に記録され最近はその時の録音テープも公開。北中城から南部に逃げる時は、乳飲み子と救急袋を背負い4歳の子供の手を引いていた。逃避行中、迫撃砲の集中射撃を受け、母は右足を吹き飛ばされその日のうちに死亡。父は真壁の小さなガマに非難した際に体が大きくて入れず、「こども達さえ助かればよい」と迫撃砲の攻撃から壕口を体を張って守り死亡(1945年6月9日)米軍艦の鉄の暴風から身を守る為、食料より壕に入る事が最優先となり、カーブヤーガマに避難。当時壕は軍の管理下で、中に入ろうとすると歩哨に怒鳴られて追い払われる。しかし隙をみて壕に入った。兵隊はご飯を食べているが住民には食料がなかった。芋の粉と砂糖を水で溶かしそれを啜って飢えを凌いだ。4歳の長男は衰弱し、「まんまぁたべたいよ~」と泣き、9ヶ月の赤ちゃんはやがて泣かなくなり、呼んでも返事もしなくなって死んだ。真っ暗で表情も見えなかった。その後、夫・長男と一緒に米軍に保護され収容所に。しかし肋膜炎を患っていた夫は過酷な逃避行で衰弱し死亡。長男も艦砲で受けた傷の後遺症か、衰弱して死亡。(1945年6月21日)
 全ての家族を失った安里さんは、深い悲しみにより「死にたい、死にたい」と自暴自棄な戦後の生活が始まった。その後、周囲の薦めで同じように全ての家族を失った男性と結婚し沢山の子どもに恵まれる。】



映画・詩の紹介と告知のみで失礼します!



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