亡国を阻止せよ。考え方一つで見方は変わる | ずるずると道・郷・話を愛でる

ずるずると道・郷・話を愛でる

房総半島から栃木県北部を中心として、
街と街を結ぶ県道・国道・峠道を巡回しながら、
持続可能で成長する日本の未来の為に成すべき事を考えます。
日々の個人的な興味について書くこともあります。

農業の根本を外資に売り渡すというターニングポイントであることを訴えているこの記事は、鬼気迫るものを感じるところである。


 

これに対してどのように見立てるかは、人それぞれの考え方があるだろう。

ただ、この大きな危機に対してどう考えるかというのはこれから日本をどうしていきたいのかということを考える上では、より大切なことなのである。そう、その場の対応よりは将来的にどう持っていきたいのか、というのが、どうなってるのかということで、同じ対処法を撮ったとしてもその結果得られるものが変わってくるのである。

 

外国人がすでに入ってきて、高齢化も進んでいる、もう、日本の農業は詰んでしまっているのではないか?と考えることもできるが、その現状をどうやってまともな方向にもど相当するのか、という考え方を取れば、現在のつらい状況を、どのように変えていけば、昔のような良い状況に変えられるのかという発想も生まれてくるだろう。

 

現状の辛さを嘆いて、現状を追認し、それを拡大するしか生き残る道はない、と思い込んでしまうとそのような道をたどるしか将来は見いだせないのである。

 

伊:増える難民。難民反対デモの村。アフリカギャング歓迎の市長。中国人も恐れるアフリカ・中東系。 この記事を読んだだけでも、移民を受け入れることの社会に対するインパクト・・・すでに国柄が見る影もない世界になること・・・が想像できるだろう。日本だから無事というのは流石に甘いだろう。ここに登場する市長などは、すでに現実の治安から遊離した妄想という夢の世界の住民になっているという現実もある。上記の経団連の経営者の居る役員室もそんな夢の世界にあるのだろう。

 

何も思いつかないのであれば、それは基本的には死を意味するのである。

何か手がないかと、失敗を覚悟であらゆる手を売っていく必要がある価値があるものなのである。そこを追認して、改善の可能性を遅らせ、あまつさえ、状況をさらに悪化させる子をと拡大していくというのは、やはり、一番最後に取っておく手段ではないだろうか。

 

受け入れる外国人をどのようにすれば、少しでもマシな状況になるのか、という発想があればまだましなのであるが・・。人間の集団をホイホイ、思うように動かすという事ができるのか、と言う問いに関しては、歴史にそれを見るぐらいしか方法はないだろう。おそらく、絶対階級を設けて(インドのカーストとか中世ヨーロッパの農奴とか、アメリカの黒人奴隷とか、欧米のかつてのアジア・アフリカの植民地民とか)、それが当たり前の状況であると思わせて働かせる、という事が必要ということになるだろう。

 

やはり、必要な人材を農業のシフトさせる政策が必要であろう。そこに、緊縮財政という物事を遅滞させることにしか役に立たない抽象概念を持ってこられてきた日には、本当の絶望に陥りそうになるのである。この部分に関しては、考え方一つでやれてしまう、という部分だけに本当にやりきれない。妖怪ウォッチこと高橋洋一氏のよくいう軽口のことを本当に実現するだけでここは突破できるのである。当人は、サイコパス安倍首相が大好きなので、首相が転向しない限りは、突破させる気もないようだが。

 

それを選択するのか、これまで日本文化の礎となっているもっとゆるい形の階級でいくのか、いずれにしてもそのセンタkは、日本の未来に大きく影響するものである。ビジネスの問題で住むものではない。おそらくこれまで育んできた文化の連続性を捨てるか否かの一大洗濯ということになるだろう。

 

【移民】経団連、外国人労働者の拡大提言

 

一応エリートの部類に入るはずの経営者連中の集団が、こんなことを、「のんき」に述べているのは、やはりその本質を理解する頭がない、狭窄視野のビジネス脳で日本bンかを語ろうとしている下劣な連中であると唾棄すべきなのである。これまで日本人全体が作り上げてきたものを、自分たちの卑しい銭儲けのために取り壊してしまうことを、さもまともな人間が言う我のごとくに訴えているのである。そこまで、下劣になることを覚悟してこの提言をしないと内容の下劣さに釣り合わない。

 

移民拡大を消極にでも良しとする考え方で、その流れに逆らわないと選択する考え方を持ってしまった際には、是非、移民受け入れ状況の現状を維持し更に拡大する道のみを模索することの下劣さを知ったうえで、それを提言することの日本文化に対する屈辱をまず知っていただきたい。

 

敢えて汚い例にするが、糞尿を浴びせかけられるぐらいの屈辱感である。臭い、汚い、もしかして、病気で死んでしまいかねない状況で、これを乗り切るために糞尿に飛び込む選択をしたが、そこから絶対にはいださないといけない、という気持ちになるだろう。

 

屈辱感の中でその提言の先を一体どうしたいのかを考えていくのである。

たしかに、どうしても、この瞬間はその提言が必要だと・・・言ったが、なんとかしてその状況から逃れないと死ぬ!糞尿まみれのところから逃れて、地上に這い出したいと思うのではないだろうか。

 

移民拡大に関しては、日本国家、文化、国民に対してそれぐらいのダメージが有るのである。比較する量的な観点で言えばこれぐらいのインパクトを感情に持った上で将来の選択肢を決めていかねばならないだろう。それぐらいの覚悟のいることなのである。