上海バンスキング
「上海バンスキング」を観劇しに行った。
スウィング・ジャズ・ミュージカルショーである。
場所は渋谷にあるBunkamura内のシアターコクーン。
初演は1979年で僕はまだ生まれていない。
435回も公演を行った人気のロングラン公演で1994年にラスト公演だったらしい。
そんなエンターテイメントショーの復活公演。
事前にチケット予約をしていなかったので、当日券を買うことにした。
18:30公演開始で、当日券発売開始はその1時間前の17:30。
15:00にはシアターコクーン前に行った。
既に10人ぐらい並んでた。
地べたに座って、事前に買っておいた昼ごはん兼おやつを食べたり、
彼女は小説を読み、僕は自動車運転免許の学科試験勉強をやっていた。
そうこうしているうちに後ろには長蛇の列。
何人ぐらいいたのかな。
100人?
2時間半待ち、チケット購入。
コクーン席の後ろで立ち見である。
下図のような視界であり、舞台の右端は見えない位置だった。
さらにコクーン席(5,000円)に座る客も右端が見にくいので身を乗り出す。
その為、立ち見する者はもっと見にくくなる。
でも、まぁこの立ち見で3,000円なのだ。
S席は9,500円、A席は7,000円の半額以下なのだから仕方ない。
さて、物語は1936年(昭和11年)の日中戦争前の上海。
清とイギリスのアヘン戦争後の上海はイギリス、アメリカ、フランスが租界を設定していた。
当時の上海を訪れるのにパスポートは不要で、法規制が緩く、自由で娯楽豊富。
悪の誘いも多く、魔都と呼ばれていた。
以下、公式サイトから物語の引用。
昭和11年の夏、マドンナ・正岡まどかと結婚したバンドマンの波多野四郎は、魔都上海の港に降りたった。ジャズをやめるという約束で結婚した四郎の目的はパリへ行くことではなく、実は上海でジャズをやること。そうとは知らないまどかを連れて、ジャズ仲間のトランペット吹き、バクマツこと松本亘を訪ねる。アメリカ人の顔役ラリーの経営するダンスホール“セントルイス”に出演していたバクマツは彼の愛人・リリーと恋仲になる。それを知ったラリーはバクマツをリンチにかけようとするが、仲裁に入ったマドンナと四郎が“セントルイス”に出演することでバクマツを許してもらう。左翼学生でマドンナの許婚者だった弘田も上海へやって来るが、警察の追手が厳しく、満州へと逃げる。
昭和12年の夏。ついにバクマツとリリーは結婚、その祝いの席で、バクマツの中学時代の親友・白井中尉は日本と中国の開戦を告げた。昭和13年、初春。白井は大尉に昇進して南京から戻り、上海のジャズに飽き足らなくなった四郎はまどかを残して日本に帰ってしまう。昭和15年の秋。まどかにほのかな思いを寄せていた白井はソ連国境に行くことになり、バクマツにも召集令状が届く。そして、日本ではジャズができなくなった四郎が、再び上海に戻ってくる。
昭和16年の冬。日米が開戦し、上海でもジャズの演奏はできなくなる。やがてバンド仲間は散り散りになり・・・。
配役は当日発表されるというスタイル。
あと、普通のミュージカルはセリフを歌や踊りで表現するけど、この舞台にはそれがない。
音楽家を主人公にしているためで、現代劇同様にセリフで物語は進行。
合間合間に音楽があるという形。
前半は楽しげな雰囲気でストーリーは進行するが、
後半はバクマツに赤紙が来て、波多野四郎はアヘンに手を出して廃人になる。
バクマツは遺骨となって帰ってきて、マドンナも途方に暮れ、
廃人となった夫の波多野四郎を銃で殺そうとする。
「いつか約束したでしょ。一緒のお墓に入るんだって…。悪い夢みてるのよ。
…ね、そうよね。あたしたち、今日上海に着いたのよね。
春洋丸は明日の朝、マルセイユに向かって出航するのよ。
夢なのよ、みんな。
…だってあなたたちがいなくなっちゃって、どうやってジャズがやれるの。」
最後は散り散りになったバンドメンバーたちの夢のジャムセッションが始まった。
さすがに僕も鳥肌と涙が出た。。。
今や日本の名俳優となっている方達の演技も良い。
テレビドラマや映画の名脇役、笹野さんや小日向さんは大好き。
ただ、串田さんは津川雅彦みたいなかすれた声で何を喋っているのか聞き取りにくい。
残念ながら、役者としては大根なのか。
でも、残した功績はすごい。
舞台上での最後の演奏はビッグバンドジャズの定番「シング・シング・シング」だ。
映画「スウィング・ガールズ」でも特徴的に取り上げられていたナンバーだ。
自然と体が動き出すこのナンバーを生で聴けるなんて・・・。
「シング・シング・シング」が終わると役者達はシアターコクーンの入り口へ。
観客を演奏しながら見送るというのが恒例だったらしい。
僕たちの周りにいた年配な観客たちは皆口をそろえて言っていた。
「懐かしいわぁ。こんなんだったよねぇ。」
当時を知る人たちには、僕たちとは違った感動をしているんだろうね。
そういえば後で知ったことだが、マドンナ役の吉田日出子さんは石川県金沢市出身なのね。
あぁ、これからも良い演劇を観たいね。
スウィング・ジャズ・ミュージカルショーである。
場所は渋谷にあるBunkamura内のシアターコクーン。
初演は1979年で僕はまだ生まれていない。
435回も公演を行った人気のロングラン公演で1994年にラスト公演だったらしい。
そんなエンターテイメントショーの復活公演。
事前にチケット予約をしていなかったので、当日券を買うことにした。
18:30公演開始で、当日券発売開始はその1時間前の17:30。
15:00にはシアターコクーン前に行った。
既に10人ぐらい並んでた。
地べたに座って、事前に買っておいた昼ごはん兼おやつを食べたり、
彼女は小説を読み、僕は自動車運転免許の学科試験勉強をやっていた。
そうこうしているうちに後ろには長蛇の列。
何人ぐらいいたのかな。
100人?
2時間半待ち、チケット購入。
コクーン席の後ろで立ち見である。
下図のような視界であり、舞台の右端は見えない位置だった。
さらにコクーン席(5,000円)に座る客も右端が見にくいので身を乗り出す。
その為、立ち見する者はもっと見にくくなる。
でも、まぁこの立ち見で3,000円なのだ。
S席は9,500円、A席は7,000円の半額以下なのだから仕方ない。
さて、物語は1936年(昭和11年)の日中戦争前の上海。
清とイギリスのアヘン戦争後の上海はイギリス、アメリカ、フランスが租界を設定していた。
当時の上海を訪れるのにパスポートは不要で、法規制が緩く、自由で娯楽豊富。
悪の誘いも多く、魔都と呼ばれていた。
以下、公式サイトから物語の引用。
昭和11年の夏、マドンナ・正岡まどかと結婚したバンドマンの波多野四郎は、魔都上海の港に降りたった。ジャズをやめるという約束で結婚した四郎の目的はパリへ行くことではなく、実は上海でジャズをやること。そうとは知らないまどかを連れて、ジャズ仲間のトランペット吹き、バクマツこと松本亘を訪ねる。アメリカ人の顔役ラリーの経営するダンスホール“セントルイス”に出演していたバクマツは彼の愛人・リリーと恋仲になる。それを知ったラリーはバクマツをリンチにかけようとするが、仲裁に入ったマドンナと四郎が“セントルイス”に出演することでバクマツを許してもらう。左翼学生でマドンナの許婚者だった弘田も上海へやって来るが、警察の追手が厳しく、満州へと逃げる。
昭和12年の夏。ついにバクマツとリリーは結婚、その祝いの席で、バクマツの中学時代の親友・白井中尉は日本と中国の開戦を告げた。昭和13年、初春。白井は大尉に昇進して南京から戻り、上海のジャズに飽き足らなくなった四郎はまどかを残して日本に帰ってしまう。昭和15年の秋。まどかにほのかな思いを寄せていた白井はソ連国境に行くことになり、バクマツにも召集令状が届く。そして、日本ではジャズができなくなった四郎が、再び上海に戻ってくる。
昭和16年の冬。日米が開戦し、上海でもジャズの演奏はできなくなる。やがてバンド仲間は散り散りになり・・・。
配役は当日発表されるというスタイル。
あと、普通のミュージカルはセリフを歌や踊りで表現するけど、この舞台にはそれがない。
音楽家を主人公にしているためで、現代劇同様にセリフで物語は進行。
合間合間に音楽があるという形。
前半は楽しげな雰囲気でストーリーは進行するが、
後半はバクマツに赤紙が来て、波多野四郎はアヘンに手を出して廃人になる。
バクマツは遺骨となって帰ってきて、マドンナも途方に暮れ、
廃人となった夫の波多野四郎を銃で殺そうとする。
「いつか約束したでしょ。一緒のお墓に入るんだって…。悪い夢みてるのよ。
…ね、そうよね。あたしたち、今日上海に着いたのよね。
春洋丸は明日の朝、マルセイユに向かって出航するのよ。
夢なのよ、みんな。
…だってあなたたちがいなくなっちゃって、どうやってジャズがやれるの。」
最後は散り散りになったバンドメンバーたちの夢のジャムセッションが始まった。
さすがに僕も鳥肌と涙が出た。。。
今や日本の名俳優となっている方達の演技も良い。
テレビドラマや映画の名脇役、笹野さんや小日向さんは大好き。
ただ、串田さんは津川雅彦みたいなかすれた声で何を喋っているのか聞き取りにくい。
残念ながら、役者としては大根なのか。
でも、残した功績はすごい。
舞台上での最後の演奏はビッグバンドジャズの定番「シング・シング・シング」だ。
映画「スウィング・ガールズ」でも特徴的に取り上げられていたナンバーだ。
自然と体が動き出すこのナンバーを生で聴けるなんて・・・。
「シング・シング・シング」が終わると役者達はシアターコクーンの入り口へ。
観客を演奏しながら見送るというのが恒例だったらしい。
僕たちの周りにいた年配な観客たちは皆口をそろえて言っていた。
「懐かしいわぁ。こんなんだったよねぇ。」
当時を知る人たちには、僕たちとは違った感動をしているんだろうね。
そういえば後で知ったことだが、マドンナ役の吉田日出子さんは石川県金沢市出身なのね。
あぁ、これからも良い演劇を観たいね。