等禰神社(奈良県桜井市)②985~989 | 神様と暮らす家そだて

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うやまう暮し。

神社 等禰神社(奈良県桜井市)
 
等禰神社の続きです。
 

金比羅社。985番目
 
 
愛宕社。986番目
 
 
 
上津尾社。987番目
祭神 大日孁貴命(おおひるめむちのみとこ)
 
元々はナガスネヒコの本拠地、ということで元々はニギハヤヒがご祭神であろうということです。
 
けれども、「元々」といっても、ナガスネヒコの一族が大和の地にやってきたのは祖父の時代です。ナガスネヒコの一族はもともと東北の宮に仕えていたのですから、どこからを「元々」というのか、という話はあると思います。「大和で統一政権が成り立つとき」というお話ではあろうと思います。
 
神武天皇から、時代はそれまでと大きく変化しました。
日本という国体をイサナキ・イサナミの二神が作って行った時代、アマテルカミが治めていた時代から、4世孫時代には世界的な天変地異が起きて山河のカタチを次第に変えていきました。同時に、全体統治から部分統治へと日本が縮小する中で、カンヤマトイワレヒコが日本の統一を目指した時代です。
 
そもそも、天孫ニニキネの時代に、兄のホノアカリが十種を授かりアスカ宮を持ちました。アマテルカミは二人の孫のうちニニキネをそばに置き帝王学を授けました。クニトコタチの生まれ変わりとも目され期待されたのは次男の方だったのです。
 
ニニキネは三種を授かり八州巡りをして田を作り産業を興して、世の中の富と人口を増やしました。
アスカ宮の方はというと、ニニキネの土地開発に刺激を受けて天の香久山を築山しました。この山がヤマト地方を治めるための力の象徴になりました。
 
十種のアスカ宮
三種のニニキネ
 
十種(とくさ)宝は呪術の道具とされ、世の跡継ぎは三種を受け継いだニニキネと決まっていたのです。
だから、「二朝並立」というには少し違和感があります。といっても、「この時代は豪族がそれぞれの地域を同等の権限をもって分割統治していた」というのも違います。
ただ、二世代にわたりアスカの地を守ったアスカ宮への愛着は強かったのかもしれません。我がキミが一番!と勘違いをしてしまったナガスネヒコのような人が出ると世の中は収まりません。だから、ニギハヤヒの子ウマシマチは十種宝をイワレヒコに献上し、忠誠をしめすのです。
 
神武天皇即位式の折、鏡左の臣はアメタネコ、剣右の臣はクシミカタマ。門を守る物部のウマシマチ、御垣守はミチヲミ、かんのとことはいんへとみ(アメトミ)にて行いました。
 
あたむけて みなおさむゆえ
あめとみに かもおうつさせ
みおやかみ まつるはりはら
とりみやま 
 
ナガスネヒコの従姉妹にあたるアメトミに、”かも”を勧請させて御祖神を鳥見山に祀ったという記述があります。”かも”とは流れからすると神武天皇の父ウガヤフキアワセズ?
 
「加茂百樹歌碑」という鳥居がこの等禰神社境内にあります。”かも”の痕跡と言えばここでしょうか。
 
 
 
弓張社。988番目
祭神 櫻井弓張皇女
 
正式には櫻井弓張社と言うそうです。 

祭神の櫻井弓張皇女は敏達天皇と推古天皇の第七皇女で、磐余山東光寺の鎮守の神でしたが、この寺が廃寺となり当社へ遷座したそうです。

夜泣き止めの神様として信仰され、子供、にわとりの絵馬が奉納されています。
 
 
 
稲荷社。989番目
祭神 宇伽之御魂神(うかのみたまのかみ)
 
そして、ここを登るとすぐ黒龍社があり、白庭や霊畤拝所へとつながっていきます。
 
 
奈良は、奥が深い。
今日はここまでと、降りて護国神社に参り帰路につきました。
 
 
 

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