景清神社(愛知県大府市)168 | 神様と暮らす家そだて

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神社景清神社。168番目

七社神社の、道を挟んですぐ北に坐します。

平七悪兵衛景清の屋敷跡。景清が平家滅亡後に隠棲した所ということです。屋敷にあったと云われる「芦沢の井戸」が残り、景清神社として祀られています。


常福寺に残る言い伝えによると

平家滅亡後、景清は当所に隠棲し、湧出せる水を使用し娘の安否並びに一門の供養を念じ読経満願の一夜、霊夢に依り九十六文字の観音経を授かり、驚喜尊容を感得し、千手観音像を彫作安置せり。
 常福寺の本尊は即ち此なり、開基は景清公にして右観音経の現本尊は同寺に重宝として現存せり。
 古来芹沢の井に湧出せる霊水は御神水として、眼病に不思議の霊験者有りて遠近より平癒祈願する信者多くありて名たかし。


これが、「芹沢の井」です。ポンプを漕ぐと井戸水が溢れ出ます。
お水を汲んでこればよかったのかな。


二の鳥居にからむほ「芹沢の井」奉納旗。多くの人がご神徳にあやかったことでしょうね。
このすぐ東にみえるこんもりした森にご由緒の常福寺と生目八幡宮があります。

景清の人となりは、敵臣であるにもかかわらず源頼朝をして称えしめた程の立派な御仁だったのでしょう。日向という地をあたえられたこともなんとなく「ご神徳」を感じさせます。

景清は、この地に草庵を結んで隠れ住み、万念山と称し念仏三昧に浸った。
ある夜、観音様が夢に現れ、九十六文字の観音経を授けられたといい、「夢想口授の観音経」という景清の刻んだ版木が今に伝えられる。
 本尊は、景清自ら刻んだ仏様といわれ、その作業に半月かかったところから、この地を「半月」と呼ぶようになった。


この地に移り住んでからも多くの人々に慕われて暮していたことが偲ばれます。

神社景清神社(愛知県大府市)
祭神 平景清公