提案です。
人生は覚える事ばかりです。
でも人間の記憶容量は六法全書を全て記憶出来ないそうです。
人間の人生は六法全書より覚える事はないですか?
人の名前、顔を覚えるだけでも人生で言えば六法全書より分厚くなるんじゃないでしょうか?
他にも沢山覚える事がありますよね。
だから人の名前が出てこなかったりするんですよね?
でも皆さんはひらがなとか忘れた事ないですよね?
それは何故ですかね?
僕は気になっちゃったんですよ。
そして一つの仮説を立ててみたんですが納得して頂けたら是非とも実生活に活かして下さい。
まあタイトルの通りなんですけどね。
では説明していきます。
【当然と言えば当然なんですがよく使うという事。】
人間の脳は使わない物を圧縮していくとして更に年月が経つと圧縮出来るところがなくなり削る作業となります。
当然です。脳は六法全書も記憶出来ないほど容量が少ないから。
そして削りまくって遂にはあるキーワードでしかヒットしない。
つまり思い出せない。というレベルになります。
更に分かりやすく言うと2013/7/23に山田 太郎くんという人の名前と顔とかを覚える。
会わない→その時の髪型とか服装とかを忘れる→顔の特徴を徐々に忘れていく→それでも会わない。(もう顔を思い出す必要がないじゃんと脳が判断)→じゃあ名前だけ覚えておけばいっか。→話題にすら上がらなくなる。→じゃあ名前も下の名前は忘れていっか。→更に話題にすらならない。→なんか過去に存在してた位なるわけです。
インターネットのサーチと考えてみて下さい。
【山田太郎 2013/7/23 出来事】
と検索すると自分の望んだ情報がすぐに探せますよね。
でもさっきみたいになるともう何がなんだかわからないから【2013 出来事】みたいになったらそこからまた探さないといけない。
では更にこれが【約5年前 出来事】とかだったらもう山田太郎くん探すのに何時間掛かるのって感じですよね。
まあ多分山田太郎くんの名前見つけたとしても???みたいになるのがオチですけどね。
人間の記憶はパソコンと一緒です。
皆様もPCが重くなったら使わないソフトとか消すでしょ?
脳も一緒です。
昔はコンピューターは消したら終わりだったはずです。
でも今はゴミ箱探したり復元したりサーバーに預けたり出来ます。
これはまさに人間の脳のパクリだと思います。笑
パソコンが自分のメインの記憶
ゴミ箱が脳が圧縮した記憶の置き場所
サーバーが友人とか親とかの会話とかです。
自分は忘れていても友人が覚えていればその記憶を引き出す事が出来るのです。
なんとなくイメージ出来ますかね?
長いので次に続きます。
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