石峯寺(しゃくぶじ)で南北朝~室町時代の武士の書状など新史料6点が発見された。
見つかったのは享徳二年(1453)付の播磨守護山名持豊(やまなもちとよ。宗全)の家臣?・家綱と貞家という人物の書状や、文明六年(1474)付の播磨守護赤松政則(あかまつまさのり)の有力武将・赤松政秀(まさひで)の判物などで、滞納農民に年貢納入を迫ったもの、臨時課税に反対した僧たちが免除されたことなどが記されているという。[神戸新聞]
● 山名持豊(やまなもちとよ)・山名宗全(そうぜん) ●
(1404-1473) 室町時代の武将。但馬等守護。侍所所司(頭人。在職1440-1441)。時煕(ときひろ)の子。1431年に兄・持煕(もちひろ)の失脚によって家督を継ぎ、1440年に侍所所司(さむらいどころしょし)に就任、1441年の嘉吉(かきつ)の乱で赤松満祐(あかまつみつすけ)を討ち、播磨を加えて五か国を領有(一族で九か国)、1444年に赤松満政(みつまさ)を討ち、赤松氏再興や斯波(しば)・畠山(はたけやま)l)両氏の家督相続問題や将軍継嗣問題で管領・細川勝元(ほそかわかつもと)と対立、1467-1477年の応仁の乱に発展して西軍の主将となり、陣中で没した。(「歴史チップス基礎人物集」より)
山名宗全と細川勝元/新人物往来社
¥2,854
Amazon.co.jp