大阪のバスケ部員自殺事件が発端となって、体罰の是非に関する議論がメディアなどで続いている。ただ、体罰容認記事を読むと初歩的な事実誤認や楽観論が多い。

教師は生徒に指一本触れられない
 体罰がないと教師は生徒に指一本触れられず、教室の秩序が保てないという主張だ。これは誤解。問題行動を起こす児童生徒に対する指導について(通知) にあるように、
「児童生徒から教員等に対する暴力行為に対して、教員等が防衛のためにやむを得ずした有形力の行使は、もとより教育上の措置たる懲戒行為として行われたもの ではなく、これにより身体への侵害又は肉体的苦痛を与えた場合は体罰には該当しない。また、他の児童生徒に被害を及ぼすような暴力行為に対して、これを制 止したり、目前の危険を回避するためにやむを得ずした有形力の行使についても、同様に体罰に当たらない。これらの行為については、正当防衛、正当行為等と して刑事上又は民事上の責めを免れうる」としている。体罰認めなくても教室の秩序を保つのに必要な程度の権限は教師にあるのである。

体罰にも有用性があるから禁止すべきではない
 こうした論調は多い。しかし、こうした論調の人は、「熱意ある先生が、不良少年一発殴って、その不良少年が更生する」というようなドラマでしかありえないシーンを思い浮かべているとしか思えない。例えば体罰を禁止せずに、合法化した場合、懲戒権の行使の行使として体罰が認められることになる。しかし司法消極主義の日本では、体罰は教師の裁量の中にあるとされ不当な体罰を受けた生徒の保護はかりにくくなる可能性は否めない。もちろん、誰の目にも明らかに不当な場合は違法性が認められるにしても、裁量の範囲が広い以上(グレーゾーンが広い以上)、法的救済から漏れる生徒が増加するのは自明であろう。体罰に一定程度有用性があるとしても、それを理由に体罰を合法化するのは望ましくない。一定の有用性があるから禁止すべきではないとすれば、現在犯罪とされているものの多くも合法化の対象となりうる(経済効果のある賭博大麻、売春などは真っ先に合法化されるべきだろう)。それに生徒にふるう体罰が有用だと主張するのであれば、大人にだって殴らないと分からない奴は多いから、大人社会でだって体罰は合法化すべきではないかそのような暴力が蔓延する社会が望ましいと私はとても思えないが。

先生は常に生徒のためを思って体罰する
 体罰容認派の最大の誤解がこれだと思う。教師は聖人君子ではない、という当たり前の事実が体罰容認派の方は理解できないらしい。体罰を解禁しても先生は生徒のためにのみ体罰をするから大丈夫という楽観的な発想だ。しかし、福岡中2自殺事件のように先生がいじめを誘発している場合もある。これに対して、不当な体罰をやった場合ペナルティを課せば、先生は不当な体罰をしないだろう、というような安易な反論もある。だが、教職を追われるにも関わらずワイセツ教師が毎年数百逮捕されている現状であるし現在禁止されている体罰を行って処分される教師が毎年400人にのぼる。ペナルティを課したぐらいで不当な体罰を抑止できると思っているのであれば相当な能天気だ。どき、教師なんて誰でもなれる。誰でもなれる教なんて職業に「生徒に危害を加える権利(体罰権)」を付与することの危険性がなぜ理解できないのか

●殴れば問題は解決する
 体罰信仰を持つ人は、体罰すれば更生するだろうというような楽観的な発想がある。しかし、教室で騒ぐ生徒を小突いたら生徒が逆上して暴れ出して事態が悪化する可能性もある。暴れる生徒がいるのであれば、教室を移動させて別室で諭す、保護者に連絡するなどの方法が適切ではないのか。それに、公立学校の場合、ADHD・アスペルガー症候群などの生徒も一定するいるはずで、体罰が解禁されたら、そうした先天的な要因で集団行動などになじめない生徒が、執拗な体罰を受ける危険性も高い。体罰容認派、「口で言って分からなければ殴ればいい、それで解決」などと思っているのであればあまりにも能天気に過ぎる。

体罰がないと学校が無法化してしまう
 どうやらこういう勘違いをしている人は案外多い。体罰を認めないということは、懲戒も認めないと勘違いしているらしい。体罰否定派の主張は、懲戒手段として体罰は認められない、というものであり、懲戒を否定するものではない。現実社会では暴行罪・傷害に問われる方法で、生徒を懲戒するのは法教育の観点からも認めがたく、体罰以外の懲戒を考えるべきだ。

P.S
大阪の体罰事件で教師を擁護する声もあり、先生は悪くない」主張する人がいるが馬鹿げている。現行法では体罰は違法行為であって、その結果、生徒が自殺したのだからその責任は問われてしかるべきだ。オウム真理教の信者がいかに「麻原彰晃は悪くない」といったとこ麻原氏の行為の違法性がなくなるわけではない。それに、今回の事件で先生を擁護しているのは、「ストックホルム症候群」近いものを感じる。
ストックホルム症候群とは、犯罪被害者が加害者と時間や場所を共有することによって、過度の同情さらには好意等の特別な依存感情を抱くことをいう。犯人から逃げられない状況では、犯人に対して反抗するよりも、協力・信頼・好意で対応するほうが生存確率が高くなるために起こる心理反応である。学校の部活という閉鎖空間で、体罰という恐怖が蔓延する中、生徒が自己の身を守るための心理反応として、体罰教師に好意を抱くのは自然な反応なのだ。