政権が自民党に戻り、民主党が廃止していた道徳の副教材「心のノート」が復活しようとしている。これは、小中学生に配布される中学生に配布するものには愛国心の記述もあり、一部の教員らが抵抗しているらしい。保守系の政治家よく「道徳を強調するが、本当に彼らは「道徳」世の中がよくなると思っているのか?

 こうした保守系の政治家は「学校=万能」という思い込みがある。戦前の日本は軍国主義・全体主義を学校で教え、思想統制のために最大限利用された歴史があり、実際、それにより国家全体を戦争と邁進させることに成功した。保守派の政治家は、今日においても、戦前のように学校で教育すれば画一的な思想を植え付けられるだろうと思い込んでいるのだろう。しかし、ここまでメディアが発達し、海外の情報も入ってくる中で、画一的な思想統制など不可能だ。明治時代においても、福沢諭吉は著書の「徳育如何」で学校で教育すれば自由自在に望むような人物に育てることが出来ると思うことは「妄想」と切り捨てている。

 また、「道徳」というのも抽象的で国民のコンセンサスがあるとは思えない。「賭博は道徳的に悪と聞けば、「悪」という人が多いかもしれないが、ではなぜパチンコ・競馬・競輪などはいいのか?「タバコは道徳的に悪か」と聞けば、悪くはないという人が多そうだがなぜあのような有害物質を吸い込む行為(おまけに周囲の迷惑でもある)が道徳的に悪ではないのか
タバコは良くてなんでもっと依存性の低い大麻はダメなのか?これらに道徳的答えなどない。端的にいえば、政策的に合法としているからである。道徳的な判断など、社会に出たらなんの役にも立たない。重要なのは合法か違法かである。

 具体的に「心のノート」の内容をみてみる。96-99頁
に自分だけが良ければいいという人が増えているから、公共心を持ち社会連帯をしようという箇所がある。たしかに団塊世代をみると65歳まで雇用を延長させて若者の雇用を奪ったり、社会保障でも若者の負担を増大させたりと、「自分たちの世代だけ良ければよいという風潮はある。こうした高齢者優遇も、高齢者の人数が多いから、政治家が票稼ぎのために実施しているポピュリズム政策のせいだこの部分だけ切り取って小中学生ではなく団塊世代や政治家に配布すべきだろう。92-95にルールを守ろうという項目があるが、これは体罰を肯定する馬鹿教師に体罰は違法だよと教えることには役立ちそうだ。また、114-115頁に家族を大切にしようという項目もあるが、そんなことはいちいち教育しなくても仲が良い家族は仲良くするし、離婚する家庭は離婚する。120-123頁のふるさとを大切にしようみたいな項目は一体全体何の役に立つのか

こんな何の役にも立たない教材に数億円の予算をかけるのは本当に無駄。例えば、大津のいじめ事件の時に保守系の政治家が道徳教育の復活を主張していたが、道徳教育でいじめが防げたと思っているのであればかなり能天気だ。道徳などという抽象的でよく分からないものではなく、を生徒に順守させることが重要なのだ。