大阪市のバスケ部で体罰によって自殺者が出てしまった。ネット上でも体罰の是非で意見がわれている。しかし、感情論のレベルでいくら議論しても話は収拾がつかない。「体罰はダメだけど、愛のムチならいい!」などというのは、表現の違いであって、「言葉遊び」の域を出ない。医学・心理学・統計学・法律学などの客観的な分析を参考にしつつ話を進めるべきだ。私は体罰否定派である。以下がその理由である

●法律学からの体罰否定
体罰はい悪いという話がありますが、前提事実として学校教育法11条の但し書きで、体罰は禁止されていることちゃんと認識すべきでしょう。教員に生徒を懲戒する権利は同条で認めていますが、体罰は出来ません。一発ぐらい殴るなら大丈夫とか勝手に解釈する人がいますが、文科省は身体への有形力の行使を認めていません。「100円ぐらいなら万引きにならない
」とか身勝手なことをいう万引き犯とレベルが同じです。違法は違法です。日本は「法の支配」する国で、野蛮国家ではない。「法」というルールに従うのが当然。ちなみに、一般社会では身体に有形力の行使をすれば、暴行罪に問われます(刑法上、相手の目の前に石を投げつけただけでも暴行罪が成立します)。教育上も一般社会では違法とみなされる手段で生徒を懲戒するのは明らかにおかしい。

医学からの体罰否定

 友田明美(熊本大教授)ハーバード大医学部との共同調査によると、「4~15歳のころに平手打ちされたり、むちで尻をたたかれたりするなどの体罰を年12回以上、3年以上にわたって受けた米国人」を対象に調査したところ、体罰を受けていない子供よりも前頭前野内側部が平均19.1%、集中力や注意力にかかわる前帯状回が16.9%、認知機能にかかわる前頭前野背外側部が14.5%小さかったことが判明しています。罰は、脳を委縮させるのです。体罰でストレス下に置かれた脳が、ストレスホルモンを大量に分泌しの発達を抑制してしまうのです

●心理学からの体罰否定
 またこうした脳への悪影響が影響してたか、心理学の研究でも体罰の有害性の調査は多い
体罰を受けた子供は、強い恐怖心や不安感を抱きやすく、抑うつ傾向が強く、感情表現に乏しく、一方強い攻撃性や反社会性、習癖異常をきたすことが多いそうです。や教師は体罰によって子供の悪さ修正を期待して体罰行いますが、残念なことにこれは独善的な思い込みで、実際は恐怖心、不安感、反抗心などを受け付けることの方が圧倒的に多いのです。
 
●統計学からの体罰否定 【1】平均値への回帰
 「体罰すると成長する」という経験則的なことを言う人もいる。特にスポーツ選手では、体罰があったから成長したという人も珍しくないない。しかし、これは統計学の「平均値への回帰」という現象で説明が可能だ。
人間は常に一定のパフォーマンスは発揮できない。ゆえにどうしても学校の試験の成績でも、スポーツの結果でも波がある。平均値への回帰というのは、ある回に平均から大きく外れた数値を出すと、次の回ではより平均に近い数値を出しやすいという現象のことである。例えば、スポーツで、ある試合で成功したとしても、次の試合ではより平均に近いパフォーマンスになる可能性が高いのでパフォーマンスは低下する。逆にある試合で失敗しても、次の試合ではより平均に近いパフォーマンスを発揮しやすいのでパフォーマンスは向上するのである。
 では、人がいつ起こって、いつ褒めて叱るか考えてみよう。普通は成功した時に褒めて、失敗したら叱る。これをさっきの平均値への回帰という現象にあてはめると、ある試合で成功すると褒められるが、次の回では平均値により近い数値にパフォーマンスに戻るのでパフォーマンスは低下し、ある試合で失敗すると叱られるが、次の試合ではより平均に近いパフォーマンスに戻るのでパフォーマンスは向上するのである。
 経験則的にいえば、「褒める→パフォーマンス低下」・「叱る→パフォーマンス向上」という法則が導けるが、残念ながらパフォーマンスの上下は既述のように褒めたことや叱ったこととは関係がない。これが多くの指導者が体罰は有効な教育手段だと考えてしまう理由である。選手が失敗した時に体罰を行うと、経験則的にいえば、次の試合でパフォーマンスが高まるので、体罰がパフォーマンスを高めたと錯覚してしまうのである。的確なアドバイスで選手が成長するのは理解可能だが、体罰で選手の能力が向上するなどというのは完全な錯覚に過ぎない。

●統計学からの体罰否定 【2】生存バイアス
 また「生存バイアス」、も指摘しておく。生存バイアスとは、脱落ないし淘汰されたサンプルを忘れたがために、一部の成功者のサンプルにだけ着目し誤った判断を下すことをいう。つまり、プロの選手の「体罰で俺・私は成長した」という意見にだけ着目すると体罰は有効な教育手段に思えてしまう。しかし、こうした判断は、体罰によって怪我させられて選手生命を絶たれた人や、挫折を強いられたり、淘汰されてしまった人を見落としている。途中で脱落を余儀なくされた選手も勘定に入れると、体罰は多くの選手を苦しめているという結果が得られるのである。

元プロ野球選手の桑田真澄さんのインタビューも興味深いので紹介しておく。

リンク:体罰は自立妨げ成長の芽摘む

以下抜粋。
・暴力で脅して子どもを思い通りに動かそうとするのは、最も安易な方法(だが正しい指導ではない)
・殴られるのが嫌で、あるいは指導者や先輩が嫌いになり、野球を辞めた仲間を何人も見ました。スポーツ界にとって大きな損失です。
・スポーツ医学も、道具も、戦術も進化し、指導者だけが立ち遅れていると感じます。
・アンケートでは「体罰は必要」「ときとして必要」との回答が83%にのぼりました。「あの指導のおかげで成功した」との思いからかもしれません。でも、肯定派の人に聞きたいのです。指導者や先輩の暴力で、失明したり大けがをしたりして選手生命を失うかもしれない。それでもいいのか、と。

→ ラストの指摘は私の「生存バイアス」という考え方と共通しています。桑田氏はスポーツを続けている人だけにアンケートをとっているようですが、スポーツを体罰によって断念させられた人も含めて調査しなおすと、体罰肯定派はもっと少ないはずです。


●結論
体罰は有害な指導方法なのは以上から明白でしょう。未開の部族じゃないんだから、感情論などではなく、もっと科学的・論理的に体罰の是非を考えるべきです体罰だとかのよく分からん教育法は、科学的検証で淘汰していくことが重要です。



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≪ブログ主の独り言≫ネットで監督は熱血だから仕方がないみたいなこと書いている人いるけど、選手を自殺に追い込む監督や指導法がいいわけないでしょ。こういう人は物事を荒立てるべきじゃないとか考えているのでしょうか?「臭いものに蓋」ってのは日本の文化ですからね。もちろん、彼の自殺は体罰だけが原因じゃないはず。後輩の前とかで平手打ちとかされて精神的にも追い詰められていたんじゃないですか?その結果、正常な判断が出来ないぐらいにまで追い込まれ、自殺した。選手を自殺にまで追い込んだ監督の責任は重いと考えるのが当然でしょう。なんなんでしょうね?日本人って過度に「体罰信仰」している人いるけど、なんでそんなに体罰という身体への暴行を美化できるんだろう。非常に不思議。
 私の偏見だけど、体罰信者の大半は「理性的な思考能力のない野蛮人」。たしか、アメリカの調査だと、体罰支持者って低学歴・低所得に多いし、実際に体罰やってる人もジャンキーとか頭おかしい人が多い。早く文明人の仲間入りしようね。
 理性の光は無知の闇を照らす。教育学はまだ理性の光が届いていない分野が多過ぎる。フランス的啓蒙主義はまだまだ有効だと思う。