どうなんだろう、もう二度と更新しないって言った手前更新したくないんだけど、こういう情報って晒して行った方が良いのやら悪いのやら。
昨日の検索ワード見てたら、「鶴丸 呵責 寺」ってのがあった。
なんだ、あの寺が何処か知りたかったのかな?と思って調べてみた。
大体15分くらいで見つかった。
浅草寺ですね。
(ウィキソース「浅草寺」より)
いや、詳しい検証の事を書いてもいいのだけれど、見たまんまじゃないですか。
一応、色々他のページとか他の画像とかで検証しまくった結果、普通に浅草寺が鶴丸とドライバー女が行ったそれだと断言できた。
普通に、鬼頭先生がここに取材に行ったんだと思う。
最初は神奈川県内から調べて、川崎大師に当てを付けたのだけれど、検証の結果違うと判断せざるを得なかった。
作業としては煙を浴びるようなことがなされている寺を片っ端から見ていくことなんだけれど、二番目に見たのが浅草寺であって、画像を探したらぴったりだったので、断定した。
まぁ、断定したのは良いんだけれど、流石にそれを自分の中に秘めておくだけというのもさびしいので記事を作った。
あと、鶴丸さんは車を使って移動していらっしゃるので、浅草寺に藤沢からどれくらいで着くかも調べたのだけれど、1時間ちょいあれば着くそうです。
なので、舞台が藤沢だという理解のままで問題ないはずです。
大体ね、東京であんな田園風景を見るためには二十三区外に行かなかければならないわけでして、そうなればどんどんと海は離れていくわけです。
(11巻p.186)
しかもかなり奥の方へと、山梨とかの方へと行かなければ無いわけでして。
それだと、「今、あなたのためにできること」での海での特訓が中々説明しづらいです。
別に東京に執着しない方が分かりやすいという話なんですが。
だから舞台はやっぱり藤沢だろうという話。
それだけ。
書くことがない。
あと、今ちょっとホモ・デメンスという概念の初出であるエドガール・モランの『失われた範列』を少しづつ読んでいるけれど、めんどくさ過ぎて無理。
何で僕がこんなクソみたいな本を読まなければならないかが分からない。
第一、『失われた範列』が出典だと調べるのも酷く大変だった。
どっこにもホモ・デメンスが誰の言葉かも書いてない。
結局、英語版Wikipediaで該当の記述を探すというクソみたいな作業したよ。
作業の結果、モランの1975年のなにかが出典だと書いてあったよ。
でも、モランは1975年に一冊も本出してなかったよ。
殺すぞ。
ただ、Wikipediaのさくしゃのきもちになって考えて、普通に年数を間違えただけだと考えて、流石に何十年代であるかは間違えなかっただろうから、70年代に書かれたそれの年数の書き写しをミスったのだろうと推測して、70年代の本の一覧を日本語版のモランの記事から探して、二冊あったうちのタイトルから類推して『失われた範列』であると判断したよ。
今はそれの該当箇所を読んだんだけれど、難解だったから頭から読み直す作業をしているよ。
めんどくさ過ぎるよ。
多分、読み切ることはないと思う。
実際、ホモ・デメンスという言葉は確認したよ。
そんな日が訪れるかなんて分かりはしないけれど、もしなるたるにおける鶴丸の発言の解説が出来るほどに情報が集まったらまた記事を作るよ。
そんな感じ。
では。