・2015年6月8日追記
グーグルで「のり夫」と検索すると1ページ目に来るからって、猫も杓子も後編ばっかり読んでいるけれど、普通に前編から読んだ方が分かりやすいと思うの。
あとそうそう、ネタバレしかありません。


画像を使いすぎたせいで内部処理として長くなり過ぎた。

労力としてはサブタイトルの解説より遥かに少ないのだけれど、いかんせん画像が多いから収まりきらなかった。

ここまでで9巻までの内容には言及できた。

その次に言及するところは10巻の「蝕む光」。

うん。

やりたくないけど記述していく。

シイナがホシ丸に乗って広島に入った直後、のり夫と鶴丸との間で会話がある。

 


(10巻p.53)

この表情はどのように記述すべきか。

見たまんまの表情なのだけれど、いざ記述しようとすると非常に難儀する。

冒頭の色々な言い訳は主にこのシーンについて言っている。

色々とこの表情について考えて、何度も何度も同じページを見直してみたけれど、とりあえず「寂しそうな顔をしている」程度で済ませておく。

結局、何故そのような表情を作るかについてはこれまで十分説明してきた。

僕はこの表情をどのように形容すればいいか分からない。

そして、広島で色々起きている時に、のり夫にも訪れがある。

何の訪れかといえば、死の訪れが。
 


(10巻pp.156-161)


こいつらは鶴丸がボコって金巻き上げて、その上に彼らの商売道具である松本香織を家に帰されたヤクザ達。

当然、ヤクザのシノギに手を出したなら落とし前をつけられる。

けれど、鶴丸はいなかったのでのり夫に落とし前が。

なるたるの作中だと松本香織の一件だけだけれど、何人もいる子供を不自由なく育てるための送金を行うにはその時だけの金では賄いきれるはずもなく、同じような事を繰り返していると推測できる。

そりゃ、落とし前着けなきゃいけないよね。

で、鶴丸が帰ってこないから、幹部のヤクザが帰ることになって、代わりに豚食いが呼ばれる。

結構豚食いは地位が高いらしい。

車は運転してなかったし、敬語で話されてる。
 


(11巻p.95)
 


(10巻pp.177-179)


のり夫は豚食いの事をヤバいと言っているけれど、僕としては鬼頭先生の方がやばいと思う。普通に考えて。

そうして、のり夫は特に脈絡もなく殺されていく。

のり夫の罪は何だろう。

恐らくそんなものは存在しない。

ただ、その場にいたからという理由で、ただ殺される。

一方広島では、タラクスの捕縛を諦めた米軍がロバートを殺害することによってタラクスを鎮静化し、その死体を回収する作戦行動を取り始める。

鶴丸たちはシイナを守りつつ米軍を撃退しなければならなくなり、そうである以上ヴァギナ・デンタータはのり夫の目の前のヤクザ達を撃退するためには使えない。

のり夫は米軍の飛行機を最初無力化していた。
 


(10巻pp.167-168)


けれど、死が近づくにつれてそのような余裕も無くなってくる。

広島で米軍機とヴァギナ・デンタータが戯れている間にものり夫の死が近づいてくる。避けるすべを持たない死が。

以降については僕がこれまでにしてきたのり夫の気持ちの解説を踏まえれば、それ以上に何か僕から語ることはないと思う。

だから余計なことは書かずに、もう一度あのシーンを。
 


(10巻pp.182-202)

のり夫の言いたかったことは、鶴丸が好きで鶴丸の子供が欲しいという事。

本編ではそのような言葉を示すことはなかったし、出会ってから終りのその瞬間まで口に出したことはなかったのだと思う。

よく、なるたるについてグロいだのどうだのという実にくだらないことを議論する人が見受けられるけれど、実際なるたるはグロくない。

グロさだったら、『ベルセルク』だったり『殺し屋1』だったり『ガンツ』だったり『シグルイ』だったり、骨掘砕三先生の方が格段と上に存在する。

あ、氏賀Y太先生の漫画はギャグ漫画です。

774先生はなんていうか、普通にそういう用途として使えるから並べる必要はないと思った。

けれど、なるたるはそのようなものと話が違うわけであって、問題はのり夫の事。

のり夫の死に方は上に示した通りだけれど、普通にのり夫の心情を理解しないでその死を垣間見ただけで心に来るものがある。

そして、その心情を理解した後に見るのり夫の死はどうだっただろうか。

果たしてのり夫の死は悲劇的だっただろうか。

悲劇を成立させる四つの要素というものが存在する。
 

1.「主人公は十分に人間的であって、しかも意志と行為において畏敬に値する人物であること。」

2.「主人公に避けがたい力をもって対立し侵害し、破滅に導く方向に作用する何物かが存在すること。」

3.「主人公はその対立物との間にはげしい精神的葛藤(しばしば肉体的、物理的葛藤を伴う)を生じ、その中で意志的行為を完遂した末に、破滅・没落すること。」

4.「こうした悲劇の過程には、当然主人公の深くはげしい悲惨・苦悩が生ずる。その苦悩は対立する障害が強大であればあるほど、深く大きい。」(河竹登志夫 「悲劇美と民族」『比較芸術学研究Ⅱ』収録p.126)

この四つが存在すれば悲劇と呼ぶことが可能であるそうだ。

当然のり夫は主人公ではないのだけれど、この典型は当て嵌められる。

説明するまでもなく、のり夫の最期は悲劇と呼べると思う。

けれども、僕はそれ以上に感じたものがある。

それは悍ましさ。狂気。異常性。

言葉は何だって良い、確かに悲劇的であるのだろうけれど、それ以上に理解できないレベルでの作者の狂気が感じ取れて、悲しいより遥かに悍ましく、ただただその異常性が空恐ろしかった。

だから、なるたるを測る尺度は「グロさ」ではなくて「狂気」だと思う。

さて、次にのり夫が登場するのは、「袋の中の帰宅」なのだけれど、そんなものはググれば出てくるので、貼らない。

・2015年8月23日追記
たった今確認したら、僕がこの記事を書いた時の検索で引っかかる画像と差が存在することに気付いた。新たにリンクを設ける。

時系列的には色々あって広島から鶴丸が帰ってきた直後。

https://twitter.com/narutarunogazou/status/635401274444247040

昔「なるたる のり夫」で検索すればそればっかり、のり夫の死体ばっかり引っかかったんだけれど、僕のせいでそれが乱れてしまっていた。

なので、新たにリンクを貼ることにする。


その後のり夫の死を受けて、それを鶴丸はシイナに伝えようとするシーンがある。

(11巻p.42)

このシーンを見ると、どうして悲しくなるのだろう。

このような類の感情を抱く時は、多く登場人物に感情移入して悲しんでいるのだけれど、この場合は誰に感情移入して悲しくなるのだろう。

僕にはわからない。

けれど、とても悲しいという事は分かる。

鶴丸としてものり夫の気持ちは理解しているし、その死に思うところはある。

けれどもそれについては既に書いているので、今回は書かない。

・2015年6月9日追記
色々考えたけれど、やはり鶴丸の気持ちを同情しているからこそ、悲しい気持ちになるのだと思う。このシーンはシイナがのり夫の死を知らないからこそ、鶴丸の言葉を遮れるわけだけれど、言葉を遮られた瞬間に悲しいのは鶴丸しかいない。のり夫が死んだのも鶴丸のせいだし、その事をシイナに伝えるということも辛いことだし、またそれをシイナの言葉に遮られて伝えられないのも鶴丸のせいであって、シイナを裏切ったからその言葉は伝えられない。しかも、初めからシイナを裏切ることになると分かっていた上で裏切ったわけだし、全て鶴丸の自由意志に基づいた決定の上での結果が今回の事になる。全ては鶴丸が悪い。鶴丸もそれを理解している。そして、読者もそれを理解しているから、鶴丸の気持ちを慮ってしまって悲しくなってしまうのだと思う。

最期にのり夫が見られるのはシイナが地球と繋がったとき。
 


(12巻p.169)

というか、ここに至るまでシイナはのり夫の死を知らなかった。

そしてこのシーンでシイナは鶴丸を愛しているけれどその事を伝えきれないまま死んでしまったのり夫の気持ちを知ることになる。

そして、シイナが言う言葉は、
 


(12巻pp.191-192)

このセリフがのり夫の影響の元でのそれかどうかは判断できる材料が存在しないのだけれど、物語全体を鳥瞰してどうして「やっと」言えたのかを考えれば、おのずと答えは出ると思う。

のり夫の言えなかった言葉をシイナがいう事で鶴丸とシイナが結ばれて、物語は最終話に向かう。

けれども、最終話においてのり夫についてで記述できる内容は存在しない。

よって、この記事はここまでになる。


少し画像が多くなり過ぎたけれど、目的は十分に果たせたと思う。

さて、なるたるの記事はあと須藤の事と鬼頭先生の事で全て解説できることが終るのだけれど、良いの?

質問とか疑問点無いの?

鬼頭先生の事を書いたら、もうこのサイトが更新されることはなくなるのだけれど良いの?

今のうちにしかとりあえずここで質問を受け付けることは出来ないのだけれど、それが過ぎてしまったら僕に誰も与えることは出来ないし、僕も誰にも及ぼすことは出来ない。

一つの疑問がわいたなら、それは解消されず胸中で蟠り続けることになる。

僕が慮っているのは、そのようにもやもやとした疑問が残ったとしても、僕が何かを及ぼすことが出来なくなってからでは遅いという事です。

それでも良いのなら、それともそのようなものがないのなら、僕が何かを気にかける必要はないのですが。

では、次は須藤の記事を僕が気が向いた時に。


・追記
色々考えたのだけれど、のり夫はヴァギナ・デンタータに繋がった後に鶴丸と出会ったと判断すべきかもしれない。

のり夫の最初の願いは誰にも理解されない状況を変えたいと思ったという感情からで、後々鶴丸を守りたいという気持ちに変わったのだったなら筋が通る。

なんでこんなことを追記するかと言うと、改めてこのシーンを見て、流石に竜骸を持たない人間に対する言葉じゃないから。
 


(10巻p.190)

まぁどの道はっきり言えることはないのだけれど、鶴丸が積極的にのり夫に協力を求める理由が竜骸を持っている事以外に見出せない。

とするとのり夫が保持者だと知る経緯が何処かにあったのだろうけれど、それはなるたるの本編からは見いだせない。

本当に描いてないから本当にどうしようもない。

第一、須藤は東富士でアキラを誘拐した時に保持者かどうか理解してなかったのであって、それを調べる手段は持っていなかったという事になる。

そうとするなら、一方で鶴丸だけ持っているとも考えられないし、上の会話がある以上、のり夫の考えの中に鶴丸が目的とする世界の創造はないわけであって、同じ思想を持った人間が惹かれ合うというわけでもないという事が分かる。

最も分かりやすい流れは、鶴丸が道でアクセサリーを作っているのり夫に話しかけて打ち解けて、その会話の中で竜骸を持っていることをどちらかが打ち明けて、お互いに持っていることが分かり、その上での協力を要請したという流れ。

そうした形が一番スッと通る理解だけれど、根拠が存在しない為に空虚でしかない。

まぁ、そこら辺は答えがないので、僕が書いたことが正しいとも限らない。

けれども、一番不備のない説明ではあると思う。


・2015年11月8日追記
思ったんだけど、どうせこの記事に一番アクセスあるんだから、ここにアフィリエイトを貼ったら儲けの一つでも出るやもしれない。

だから、なるたるのアマゾン貼りましょうね。

正確な字数は知らないけど、さっき計算してみたら、なるたるの記事は全部で40個くらいあって、量的には学士の卒論一本じゃ治まらない程書いてる。

でも、僕に一切利益はない。

よって、ここになるたるのアマゾン貼るけど、買わなくて良いよ。別に。割とどうでも良い。

普通にブックオフで買えばいいと思うけど、なるたるはブックオフでは手に入らないらしい。

確かに、西は所沢、東は京成大久保のブックオフまわりまくったけど、そんなに見かけた記憶ないもんなぁ。

でも、僕が集めた時は絶版で取り寄せすら不可だったんだから、アマゾンで買えるだけでもマシだと思う。

何で今更こんなの付け足しているかといえば、何かそういう利益目的のサイトは嫌だから、今までどんなにアクセスがあってもなるたるのアフィリエイトをしてこなかったけど、流石に毎月マッポーめいたアクセスがあるのにそれを垂れ流すのは勿体ないと思ったから。

なるたる読んでないのにこの記事読んでいる人居るらしいし。

まぁ、多いって言っても、スマホで読むと画像クリックするから表面上増えてるだけで、別に見た目ほど読まれてない。

あと、僕が書いたなるたるの解説は流石に量が多すぎるので、適当に読みたい記事だけ読めばいいんじゃないですかね?

ただ、僕が調べた限り、このサイトよりなるたるを詳しく解説したサイトはないみたいですよ?

例えば、Wikipediaに書かれてることはかなり間違ってるからね、仕方ないね。

何がどう間違ってるか、挙げだしたらきりがないほどに間違ってる。

もっとみんな頑張ってくれれば僕があんなに書く必要なかったのに。

 

なるたる 全12巻 完結コミックセット(アフタヌーンKC )/講談社
¥6,614
Amazon.co.jp

 


・追記
ふと思ったんだけど、電子書籍で買えばいいんじゃないかな…?

 


・2015年1月15日追記
Q.上のリンク貼ってから二か月以上経ちましたが、利益は1円でも出ましたか…?
A.出ませんでした…。まぁ、ただの飾りだから、ね?

・追記
2017年の6月に新装版が発売されるらしいっすよ?