日本の被差別身分について―穢多、非人、山窩、夙― | 胙豆

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傲慢さに屠られ、その肉を空虚に捧げられる。

関東の被差別部落についてなんてことは、とっくに僕の興味の対象から外れた昔の話に過ぎないのだけれど、この日記に訪れる人で、検索サイトを使ったと分かる人、ていうか、検出される検索ワードの八割は被差別部落関連の単語になる。

だから、仕方なしにそのような被差別部落という概念が如何に不毛かということを説明することにした。

それぞれ論拠となる本はあるのだけれど、日記なのでその原典とページは示さない。

関心を持って専門書を調べたなら、殊被差別部落についてはここに書かれることと同じ理解しか得られようがないので、ここではアカデミックな事柄は問題にしない。

まず、被差別部落の人々が差別され始めたのは、明治以降からになる。

此処では穢多に焦点を絞る。

それまではぶっちゃけそこまで差別されてなかった。

それまでは普通に一緒に村の行事に参加していたと記録に残っているし、差別されて酷い目にあっていると記録されるようになるのは時代が下って江戸時代が終わってからしかない。

つまり、被差別部落が差別されるのは近代以降であって、古代から差別され続けてきた、穢れを持った人々ではないということ。

だから、普通に違いは職業としてのそれしかない。

インドのカーストだって、職業の問題で区分けされる。

最も差別されるのは、糞尿の処理をする人々らしい。

日本の場合は、糞尿は肥料に使ったから、それを処理する人々は別に差別されなかったけれど、つまりはその程度の問題に過ぎない。

恣意的で、偶然にもその事が差別の対象になったから、その程度のことしかその差別に原因はない。

元々、関東の場合は武家が使う馬具などに革製品が使われた。

革製品が使われる以上、それを作る人々が必要なのであって、率先してそのような人々を集めて集落を作らせたことが、穢多身分の走りになる。

つまり、そのような武家の成立後に彼らは集められたわけであって、それより前は他の一般的な庶民と何ら変わりはなかった。

そして、武家成立後ということは平安後期までしかその起源を遡れない。

だから、別に普通の人々である、それ以上の理解はない。

というか、一部の特殊な名字の人と、天皇家に連なっていると分かっている人々以外は全て被征服民でしかない。

だから、彼ら穢多と呼ばれる人々と我々には根源的に差はない。

差は職業のそれ以外認められない。

結局、仏教が何故死体を不浄と扱うかは分からないけれど、その不浄なものを処理するという立場の職種の人々であったから、後々に差別されるようになった。

彼らは別に穢れていない。

普通の日本人に過ぎない。

差別される謂れは一切ない。

その人々が現在の何処に住んでいるかなんて、本気で割とどうでもいい関心ごとに過ぎない。

なにせ、職業しか違いがないのだから。

隣のAさんが代々農業を営んでいて、我が家は代々しがないサラリーマンをしている、その程度しか現代の尺度では違いがない。

だから、彼らが差別される謂れなんてない。

よって僕は差別しないし、関東の政策としての被差別民の記録の抹消は、全きに正しい判断だと思う。

関西の被差別部落の人は、「被差別部落出身だとしても、胸を張って生きられるよう」活動しているらしいけれど、いやなら逃げればいい。

別に他の土地で暮らせば、二回も引っ越しを済ませて本籍の場所を変えればそれで終わり。

それ以上の解決策はない。

何故、被差別部落の人々だけそんな目に合わなければならないのか、と憤慨するかもしれないけれど、人間は平等ではないし、別に民主主義は理想でしかない。

だから、自分の努力で環境と身の振り方を変えるしかない。

関東では偶然、政府が上手いことやったけれど、関西ではそれが起こらなかった以上、自分が上手いことやるしかない。

人に貴賤はないのかもしれないけれど、境遇に差があるのは当然で、その境遇に対して自分がどうするかは自分の裁量のうちにしかない。

だから、他人に迷惑をかけずに、自分の取るべき選択を考えればいい。

その程度の問題に過ぎない。

だから、秦野に被差別部落と呼ばれた場所があろうが、練馬にそれがあろうが、別にどうでもいい。

それが嫌だったら嫌じゃないような状況に自分がすればいいし、それに甘んじるんだったら甘んじればいい。

外部は当然差別すべきではない、というのが最も道徳的なのだろうけれど、感情の問題は理屈ではどうしようもない。

僕はその感情は理屈で解きほぐせるものだとは思うけれど、誰しもがそうできるわけではない以上、これを読んでいる人が差別すべきではないとは思うけれど、差別する人をどうできるわけでもない。

ただ、差別する理由はなんてハナからない。

結局、革製品を作っていた、それ以上のことは穢多の身分の人々にある共通点はない。

現在で言うところの、野球のグローブを作ってる人々だってそれを作っていたのが江戸時代までだったら穢多の身分だったに過ぎない。

だから、被差別部落が何処に在ろうと、ただ歴史的な事実としてそうなだけであって、結局人は移り住むからその土地がどうこうとかはない。

その土地はただ川沿いにあるだけなのだから。

次に、非人身分の人について。

彼らは別に必ずまとまって住んでいたわけでもないから、非人の土地はない。

というか、これこそ関西の部落の話じゃないけれど、一代誰かがその事を隠して生きればいいだけに過ぎない。

彼らがその身分に落ちたのは、当時の宗教で禁じられていたことをしたから。

これは例えばだけれど、ある宗教で酒を飲んではいけないのに出来心で飲んでしまった、程度の出来事でこの身分に落とされたに過ぎない。

当然、日本の非人の場合は近親を犯したなど色々込み入ったものがあるけれど、ただ当時の宗教で禁じられていたものを行った程度のことしか根源にない。

やはり現在も差別される謂れはない。

よって、一代我慢すればそれで良い。

その我慢でのちの世代が苦労せずに居られるのだから。

次、山窩について。

山窩が文献上で初めて出てくるのは、小説です。

小説以上の山窩の資料はありません。

ただの空想と妄想です。

柳田國男が山窩を語った所で、それだけで山窩という概念が正しいなんてありえない。

そんなことで正しくなるんだったら、宗教でもやればいい。

とにかく、山窩が行ったという竹細工を職業とする人々が、歴史上差別されたことは一度もない。

そうであり、また山窩の情報がその五木寛之の『風の王国』以上に古い資料が存在しない以上、フィクションでしかない。

あと、Wikipediaにさも存在したみたいに書かれているけれど、挙げられている資料が山窩の存在を前提とする資料である以上、取るべきものは何もない。

山窩を論ずる人々の中には、現在も山窩が存在すると思っている人が居るみたいだけれど、何のための戸籍謄本なのかを考えて欲しい。

あと、このサイトでは繰り返し書いてきてるけれど、願望からの議論は全てクソです。

山窩が存在して欲しいという願望が、自分の中に存在するかどうかを見極めて、して欲しいとほんのわずかにでも思っているのならば、それは間違っていると考えた方が良い。

願望は事実を平然と捻じ曲げるから。

次、夙という身分について。

まぁ、普通に知らないと思うけれど、一応。

夙という身分の人々は、古代の墓守の末裔だと本居宣長が論じたらしいけれど、実際のところはただの宿無しです。

宿がない浮浪者たちを集めて住まわせたのが始まりであって、だから若干差別されているに過ぎない。

結局、昔の偉い学者の発言は無判断に受け入れがちだけれど、かなり間違いが多いというところが現実になる。

柳田國男だって平然と間違っているし、アリストテレスだって、パスカルだって、カントだって間違っていた。

特にアリストテレスはその否定から近代科学が始まった。

だから、なるべく新しい資料を読んだ方が良い。

権威があるからそれだけで受け入れがちになるけれど、古い本は基本的に古いだけの価値しかない。

殊学術書については、古い考え、当時はそれが正しいとされていたようなそれが平然と跋扈していて、素人たる読者にはそれが正しいかどうかが判断できない。

よって、新しい資料を読むべきです。

オルテガっていうスペインの哲学者の本を読んでいたら、「オーストラリアのネアンデルタール種族の~」という記述があってどうしようかと思った。

当時はアボリジニの人々の事をネアンデルタールの末裔だと考えていたらしい。

アボリジニとネアンデルタール人に血縁はない。

ネアンデルタール人と血縁があるのは北アジアの人々だ。

正確にはデニソワ人って人々とという話だけれど。

このように平然と間違いが書いてある。

あと、差別しても何にもいいことないから、曽屋が例えそうだったとしても、「そうだったんだ」以上のことを抱いてはイケない。

だって、革靴作ってた人が江戸時代だったら穢多扱いなわけであって、そこに合理性が一切存在しないと分かる。

そんな感じ。

まぁ、やたら被差別問題の検索ワードが多かったから書いただけです。

それだけ。

では。


・追記
書いた内容で誤りを見付けたので訂正する。

多分、革製品で具体的なもの、馬具とかを作ってた人たちは穢多ではない。

うろ覚えだけれど、その辺りについての詳しい解説がなされていたことを思い出した。

穢多の人達は、革製品の元になる革そのものを作っていた人々というのが正しいはず。

だから、当時にグローブや革靴を作ってても差別はされるという事はないっぽい。

けれども、差別の無意味性は修正しないままの方が分かりやすいだろうから、本文は修正しない。

具体的な革を作ってる人々はイメージしづらいからね。