海軍下士官兵の食事(平常時) | 太平洋戦争史と心霊世界

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 以前訪れた筑波海軍航空隊跡地の展示室で、配食器と薬缶(やかん)を見かけたので、これら中心に海軍での下士官兵の食事について取り上げます。



食事8  配食器(筑波海軍航空隊・展示品)


「米麦飯」「汁」「副食」などの配食を入れていたアルミニウム製の配食器。通称「飯缶」(ばっかん)と呼ばれていました


食事7 

 これは映画で戦艦大和の烹炊所(ほうすいしょ)、つまりキッチンです。映画なのでどれ位当時を正確に再現したのか分かりませんが、棚に配食器が収められています。


食事1 

 大正時代(推定)の兵員烹炊所。炊き上がった白米を蒸気釜から配食器(飯缶)に移しています。


食事10 

アルミニウム製の「海軍薬缶」(やかん。(筑波海軍航空隊・展示品)


食事11 

明治20年代までは金属製の薬缶でなく、土瓶が用いられていました。

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食事12 

側面に錨のマークが刻印されています。


食事3  昭和13年の横須賀海兵団で、下士官の引率のもと食事を受領する兵たち。

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食事4 

拡大写真。見えにくいですが、各自飯缶(ばっかん)と薬缶を手にしています。

 

 艦艇の場合は食事時になると、班ごとに下っ端の水兵が、烹炊所にこれらの容器を取りに行っていました。そして班に戻ると水兵が各自の食器に盛り付けました。

 

上級者に「ついでに付け合せの味噌をもらってこい」と命令され、烹炊員に所望したが拒否されたので、やむなく「銀バイ」(食べ物のかっぱらい)して取ってきた話などよく聞きますね。


食事9 

潜水艦内での食事。左手の下士官が「飯缶」(ばっかん)からご飯をよそっています。


食事2  朝食の盛り付け完了状態。(2人分)


 卓上には茶湯用の薬缶と2名分の食事--米麦飯を入れた「飯椀」、味噌汁の「汁椀」、伏せた状態の「湯呑」と箸があります。

 中央にあるのが漬物で、
2名に一皿ずつ付く「中皿」。


食事6  戦艦山城での朝食。

 

下士官兵用の食器は士官とは違い琺瑯(ほうろう)引きで、食器ごとに和洋食の区別はありませんでした。

 

食事内容は海軍士官の方が下士官兵より良かったのですが、その代わり自腹でした。下士官兵の食事は無料です。

 

 

【海軍兵食 食事時間】

 

食事時間:夏季日課(冬季日課)

 

・朝食:06150700

・中食:11451145

・夕食(上陸許可のある場合):16151515

・夕食(上陸許可のない場合):17301700

・夜食:巡検後(巡検後)

 

 

『写真で見る 海軍糧食史』、藤田昌雄、光人社、