諸葛流文霊(あやだま)想作家の玄子(げんし)です。
今日は旧暦の4月24日。
玄徳公が永安宮(白帝城)で
孔明先生に後事を託して崩御された日。
その数日後、孔明先生が公布した遺詔がこちら
原文全文と、一文ごとの解釈↑玄徳公への敬意と感謝、心を込めて書きました。
私が敬称をつけている三国志英雄は
私が心から尊敬している証なので
コメントされる方はそんな私の気持ちを汲んでくだされ〜
じゃないと・・・なんかこうぅ〜
なんと言うか・・・
大事な想いを踏み躙られている感じがして
心が痛くなるので
心、痛いよ〜
って悲しさよりも、
怒りで心の臓が張り裂けて
って感じです。
玄徳公が崩御された白帝城には一度だけ
行ったことがあります。
1997年の国慶節。
ダムに沈む前に!と嫌いな団体ツアーでしたが
この時は留学して半月。
まだまだ全然、中国語が出来なかったので
背に腹はかえられぬでござるって事で
日本人とドイツ人留学生の団体で
三峡くだり〜
メインは白帝城だったので
三峡くだりはオマケでしたが
小三峡ってのはまだ自然の神秘が守られていて
地球の奇跡を感じました
今はどうなったのか・・・
美しい思い出を壊したくないので
もう一度行きたいとは思いません😅
そしてメインの白帝城!!!
ついにぃい
ってワクワクしていたら
「行けないかも」疑惑浮上
いやいや、冗談は長江に浮いている多量のゴミだけで勘弁してよ!
(本当にまぁ、汚かった!)
白帝城の料金こみで旅行代金払ったしぃ〜。
本社にクレーム入れられたくないよね?
しかも留学生から。
国際問題に発展したら大変だよね?
だったら連れて行け!と団体ツアーだったので
団体で旅行社の人を脅し説得し←留学生はこうやって強く逞しく成長していきます🤣
「仕方がないから連れていくけど
本来、外国人禁止だから!
一言も発してはなりませぬ!」←本来、案内する気なかった?
って事で。
一緒に行ったドイツの留学生5人は
どっからどう見ても中国人にはなれないので
日本人留学生だけ無言、無表情のまま
真夜中2時の白帝城へ
クルーズ船から小船に乗り換えて白帝城に乗り込み
「なんか・・・三国志っぽい」
私だけ謎に爆上がるテンション
そこにあったのは!!!
詳細は拙著
三國志游學記に譲ります
場所は動かないから待っていてくれる、
行ける時に行けばいい!
と言うのは今は昔。
行きたいってところには
行ける時に行かないと
行けないまま
人生を終えてしまう可能性が高いと
痛感する今日この頃。
目指す場所、行きたい場所は違えど
遠慮なく、
後悔のない
人生の道を歩いて生きたいですね♪
今日のご縁をありがとうございました。
玄子(げんし)