連休明けの日って何かと忙しい・・・
それが25日だったりすると、もうねww
と、いきなり昨日おやすみした言い訳から始めてみる
卑怯者真美でございます( ´艸`)
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4年生の時、学校が地獄だった私は
休日が凄く楽しみだった。
土曜日も半日なのが魅力だけど
やっぱり学校へ行けば殴られる。
だから日曜日は大好きだった。
ある土曜日、従兄弟が泊まりに来ていた。
次の日は日曜日。
従兄弟も泊まりに来ているから楽しい日曜日が過ごせそう。
ところが、従兄弟と姉が一緒に遊び
私が入ろうとすると
あっちへ行け
真美ちゃんは呼んでない
などと、わざと姉と従兄弟が私をのけ者にした。
二人の表情を見ていると、どうも楽しんでいる感じ。
ふざけた感じでやっていたが、私は面白くなかった。
無理やり遊びに入ろうと何度も試みるが
返り討ちにあってしまう。
それを同じ部屋で裁縫をしていた母が見ていたが
特に姉にも従兄弟にも注意はしなかった。
母に言いつけてみたが
「良いじゃない、あの子達はあの子達で遊びたいんだってさ。
真美ちゃんは、お母さんの所で遊んでいれば良いじゃない」
と母の隣に座らせられた。
それを見ていた姉と従兄弟は
わざと大きな声を出し、こちらとチラチラ見ながら
うわ~楽しい~
おもしろ~い
などと挑発してくる。
当時は挑発されているなんて思わずに
単純に
私も一緒に遊びたい
と思った。
だから、また「入れてよ~」と言って
姉と従兄弟の所に行くが
真美ちゃんはダメ~
と追い返されてしまう。
そして、また母の所に行くが
母は裁縫をしながら
「だから真美ちゃんはここで遊んでいれば良いでしょ
お母さんが遊んであげているんだから」
で終わってしまう。
母は裁縫をしていて遊んでくれてなんかいなかった。
ただ、隣に座ってなさいと言うだけ。
そんなの楽しいわけが無い。
段々と腹が立ってきた私は、とうとうキレてしまった。
いきなり姉と従兄弟の所に走っていって
遊んでいるオモチャを取り上げた。
本来、このオモチャは私のだ。
4年生だから、オモチャと言っても、たいした物ではない。
だけど、従兄弟と遊ぼうと思って部屋から持ってきた。
それを使って姉と従兄弟だけで遊び
私をのけ者にするのはおかしい!
そう思ったのだ。
突然、私が走ってきて
従兄弟の手からオモチャを取り上げたものだから
姉も驚いて動けず、従兄弟は驚いて泣き出した。
と、そこで母がやっと重い腰をあげた。
私の強行で、ついに母が動いてくれた!そう思ったが違った。
また平手打ちされた。
「あんたはなんでオモチャ取るの?
今、○○君が使っていたんでしょ?」
「だって真美のだもん」
「たまに泊まりに来た時くらい貸してあげなさい!」
「だって真美をのけ者にするんだもん」
「良いでしょ!!!!
お姉ちゃんと○○君は二人で遊びたいんだよ!
あんたはお母さんが遊んでやっていたでしょ?
何が不満なの?」
遊んでやっていた?
何が不満なの?
不満おおありだよ!!
母は裁縫してただけじゃん。
なにが遊んでやっていただよ!!!
泣きながら母を睨み返した。
それが母を更に怒らせた。
私はお風呂場に閉じ込められた。
「あんたみたいな悪い子はここで反省してなさい!」
お風呂場でひとしきり泣いたあとに考えた。
なんで?
なんで母はいつもお姉ちゃんなんだろう。
今日だって姉と従兄弟が私をのけ者にして楽しんでいた。
それは母は見ていた。
それなのに姉にも従兄弟にも怒らず
反抗した私が怒られた。
なんで?
なんで私が悪いんだろう?
オモチャを取り上げたことは確かに私が悪い。
でも、そこに行き着くまでの原因は?
それも私にあるのか?
私はとことん母に嫌われているんだ。
そこまで、私のことが可愛くないのか?
なんで生まれてきたんだろう。
母親に愛されないのに、なんで生まれてきたんだろう。
学校でもいじめられて
家でも居場所がない。
生きている意味があるのか?
私は、わずか10年の人生で絶望を感じた。
もうダメだ・・・
楽しいことなんてなにもない。
生まれてきた意味も
生きている意味も分からない。
母も姉も私のことが嫌いなんだ。
だったら私は消えた方が良い。
お風呂場にあったタオルで
私は自分の首を絞めた。
思い切り絞めた。
だけど、やっぱり苦しくなって力を緩めてしまう。
何度も絞めなおすが、緩めてしまう。
私は死ねなかった。
これから数ヶ月、私は学校でも家でもほとんど言葉を発しなかった。
その方が楽だった。
人との係わりを無くしたら、私の心は楽になった。
今でも基本は家に引きこもっている。
ご近所付き合いも、学校の保護者同士のお付き合いも
本当は苦手だ。
お友達はいるし、声掛けたり掛けられたりして出掛ける。
それは凄く楽しいし、ストレス解消にもなる。
だけど基本は家で一人でいるのが好きだ。
私が人とかかわることが苦手になったのは
この頃だったと思う。
今でも、このことは思い出す。
特に、康介が4年生になった時は思い出した。
私が地獄だった日々。
それと同じ4年生を送る康介。
もしかしたら康介も?
康介も学校でつらい思いをするんじゃないか?
康介が4年生の間、私は怖くて怖くてたまらなかった。
それと同時に、こんな小さい子が
まだ10年しか生きていない子供が
生まれた意味だの、生きている意味だのを考えていたのか?と
自分の事ながら可愛そうになってきた。
本来、、毎日が楽しいはずの時期に
母にも姉にも嫌われていると思い込んで過ごした日々を
そうじゃないんだよ、と
あの頃の私に言ってあげたい。
そして抱きしめてあげたい。
あの頃の私は、本当に愛情に飢えていたと思う。
今でも思い出したくないし
ところどころ記憶がない4年生時代だった。