こんにちは。
『0円引越』プロデューサーの合田英樹です。
【激動の1ヶ月編】② あの引越会社が倒産に至るまで
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★9月4日 「○協会」セミナー中の融資ストップ②
8月25日に通常通り返済し、
翌月5日の融資も通常通り実行されるはずでした。
そこに9月4日のセミナー中の電話です。
多分、電話の主の経理部長からはこんな内容だったのでしょう!
「大変です専務!○○銀行からの2億が止まりました!」
専務が慌てたのは想像に難くありません。
なんでも準備周到にされる方でしたので、
通常月のように資金繰りは完璧だったと思います。
それが反故にされたのです。
専務が言うにはこんな言葉だったようです。
「もうこれ以上の融資継続は無理です。
今回は3,000万円用意しますが、不足分は御社で都合してください。」
月末の返済時にはそんな素振りなど微塵も感じなかったとのことでした。
早い話が、手切れ金が3,000万円だったのでしょう。
時期はちょうどリーマンショックが表面化する少し前。
当時のメインバンクが大阪地元の金融機関との合併の際に、
大手金融機関から身綺麗にしてくる事を求められたためだと思われます。
2億円―3,000万円=1.7億円
それだけのお金を集めるだけの体力は、当時の会社には残っていませんでした。
それから数日後、役員、事業部長会議が招集されて今回の経緯が説明されました。
説明と同時に、この先の9月10日の給料についての話しもありました。
給料は遅配されることになりました
さすがに全額遅配は出来なかったのでしょう。
係長以下は50%支給、課長以上は30%支給になりました。
一般のアルバイトは…ここは引越屋の生命線です。
スタッフが居なくなっては引越という商品が提供できません。
こんな理由でアルバイトについては全額支払うことに決まりました。
会議が終わった後の各地の本部長(私もその一人でしたが)は沈痛な面持ちでした。
「どうやって伝える?」
各地で説明がバラバラになって、不安を増幅させない様、
伝え方も全員で一致させる事にしました。
でも今考えたら可笑しなことですよね?
給料の遅配があったにもかかわらず不安を持たせない、
なんて出来る事ではありません。
これまで何度か噂話では出ていた会社の倒産でしたが、
今回はかなり現実味を帯びて話題に上るようになりました。
それとともに、会社を去る人間も出てきました。
営業係長に引き上げたばかりの者、
関西の営業部隊の責任者に抜擢した者。
その他にも各営業所の管理者まで。
寂しい想いをした記憶がありましたが、
それを責めるつもりは、当時も今もありません。
みんな仕方が無いことだとわかっていました。
しかしこのような事実があった後でも、
健気に仕事をこなすスタッフには本当に感謝しました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今回はここまでにします。
読んで下さってありがとうございました。