こんにちは!
『0円引越』プロデューサーの合田英樹です。
今回は、【新シリーズ】 あの引越会社が倒産に至るまで 第13弾です。
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社内の空気は最悪でした。
今思えばあの最悪の時期の資金繰りをどうやって繋いだのか?
本当に財務担当者は大変だった事と思います。
財務の責任者は、私の上司であった専務でした。
その頃から専務は私と仕事の話しをする機会が減ってきていたのです。
元々その専務は業務本部を束ねていましたので、私にとっても頼りになる上司でした。
その業務大好き専務が業務の事など見ている時間が無くなったのでしょう。
何を相談に行っても、
「お前に任せるから結果報告だけは頼む!」
こんな対応でした。
融資の話しがまとまると嬉しそうに私に話してくれたのもこの時期でした。
「何とかなるのかな?」
私はそう思うようにもなってきました。
ちょうどここから少し後の時期です、私が独立に向けて準備をしていたのは。
退社の決心をした私は、2008年の4月に○○社長と別の取締役に、
「○月○日付けで退社させて頂きます。」
と、告げました。
それからは説得の嵐でした。
同席した役員からは、
「オレの後任を任せたい!」
と、言われたこともありました。
「あなたのやってきた事を役員会議にかけて、
その結果を社内全てに開示できるなら残りましょう!」
まずは女性問題です。
部下の女性営業マンとの親密な関係を、
会社として糾弾出来ない組織でした。
私が一番嫌いだったのは、
社内で女性問題があっても不問に付す風潮が確実にあった事です。
そして取引先業者との癒着。
これは私が後任を任された時に全ての業者を切り捨てました。
「全てさらけ出す勇気をお持ちですか?」
私はその役員に言いました。
その役員は黙ったままでした。
結局、私の決意を翻すことはできませんでした。
退社の日程が私の中で固まったある日、
私が頭の上がらない上司(専務)に呼ばれました。
専務室に入ると
「お前が辞めることについて、オレが止めることが出来ないのはわかっている。」
「でもな、オレを助けると思って、あと半年、一年やってくれないか?」
「関西事業本部の立て直しを手伝ってくれ!」
私はこの上司と何度もぶつかりました。
かなり厳しくされましたが、私は何度も助けて頂きました。
この人に頭を下げられては私は反論出来ませんでした。
「わかりました。それでは私は専務の為だけに、あと一年間だけ頑張ります。」
「一年で立て直したあと、私は辞めさせて頂きます。」
このような経緯で、私は関西事業本部長に就任したのです。
この時、2008年5月でした。
2007年10月頃から2008年の繁忙期(3~4月)明けまで、
あまり私の記憶に残っていないのです。
時間がかなり飛びましたよね?
私の仕事を書き連ねる内容ではありませんので、
これからは少し時間を進めて書いていきます.
今回はここまでです。