「カスパー・ハウザー」とは、19世紀初期のドイツに生きたある青年の名前です。
彼が誰の子で、どこで生まれたかはわかっていません。1828年5月、ニュールンベルクの街に突然現れたのです。
(1828年は日本では江戸時代の末期、西郷隆盛が生まれた年。文豪トルストイが生まれたのもこの年)

カスパー・ハウザーが発見されたとき、彼は足もとがふらついてろくに歩けず、言葉もしゃべれませんでした。彼の身柄は警察に委ねられました。警官たちが取り調べを行ないましたが、彼はまったく会話ができませんでした。ただ、紙とペンを渡されると「Kaspar Hauser」と書きました。そこで、彼はその名で呼ばれるようになったのです。

やがてわかったことは、カスパー・ハウザーはごく幼い頃から狭い部屋に幽閉され、パンと水だけを与えられて育ち、他人の存在を理解できず、時間の観念もなく、外の世界というものをまったく知らずにいたということでした。

カスパー・ハウザーは、言葉が理解できないだけではありませんでした。当初は「見る」ということもできていませんでした。
後日(彼が言葉を覚えてから)わかったことですが、彼は窓から見える景色というものを認識できなかったそうです。彼は窓を閉ざしたよろい戸に、白や青や緑、黄などの模様が絵の具で描かれているのだと思っていたのです。

カスパー・ハウザーの出現と急激な成長はヨーロッパ中の人びとの注目の的でした。
多くの人が彼に会おうとしました。
詩や小説の題材にもなりました。

ここで、注目したいのは、カスパー・ハウザーの「感覚」です。

カスパー・ハウザーは初め、パンと水しか受け付けませんでした。水以外の飲み物や肉などには臭いをかいだだけで不快感を示したといいます。

「ほんの一滴のワインやコーヒーなどを、こっそり水に混ぜて飲ませても、彼は冷や汗をかいてしまい、吐き気や激しい頭痛に襲われてしまうのだった」

味覚の感度が極めて高かったことがうかがえます。

視覚に関しても驚くべき能力を持っていました。
彼は夜でも昼と同じ歩調で歩いたのだそうです。夜、手すりを探りながら歩く人を見て、笑ったといいます。

「夕暮れが近くなったころ、彼は教授に、かなり離れたクモの巣にブヨがひっかかっているといって教えたことがある。(中略)詳しく調べてみた結果、彼は完全な暗闇でも、青と緑といった暗さの異なる色を正しく識別できることがわかった」

同じように、聴覚や嗅覚も常人よりはるかに鋭敏でした。

カスパー・ハウザーは何も特別な訓練は受けていません。むしろ、通常のしつけや教育を一切受けていなかったのです。今となっては誰にも解明できない不幸に見舞われて、暗闇の中、パンと水だけを与えられて成長期を過ごしたのです。

そのような生い立ちのカスパー・ハウザーが示した驚異的な能力の数々を思うと、我々は、ヒトの持ちうる能力についてもっと可能性を広く大きく考えなければならないようです。

人類(ホモサピエンスおよびその先祖)は、その発達した脳(知恵)で厳しい自然淘汰の世界を生き抜いてきたと一般には言われています。
しかし、それだけではないのではないでしょうか。

現代人はヒト科の動物が有しうる能力を過小評価しているのではないか、と。
人類は、カスパー・ハウザーが示したような鋭敏な感覚と優れた身体能力によって、火や道具の使い方を見出すまでの永い年月を生き抜いたのだ、と。

Webサイト「亀戸図書委員会」で、もうちょっと詳しく書いています。
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$Zero Gravity (きっかけはキミのなかにあるよ)-カスパー・ハウザー