家から、一番近くにある御朱印の頂けるお寺、柏市の布施弁天こと、紅龍山 東海寺さんです。
関東の三大弁天と言われています。
ちなみに、こちらと江ノ島の弁天堂、浅草浅草寺さんにある弁天山の弁天様の3つです。
御朱印は、かなり前に頂いたのですが、写真は近いからまた今度と思っていたら、ズルズルと

湖の中から、紅色の龍が現れ、大きな振動と共に島が出現した。
その時、弁天様が現れ『私は但馬国朝来郡筒江村から来たりて、この島に降臨したり』この後、しばらく島に明るい炎が輝いていた。
里の人の夢に、『私の住んでいた安らかな山は、但馬国朝来郡筒江村にあり、みるところ坂東武者は、わがままにして、欲が深く、仏神を敬おうとする者少なし、よってこの地に来たり』
里人は、島に渡り洞穴の中で、三寸弱の弁天像を見つけました。
それに、歓喜した村人は、茅葺の小さな祠を建てたそうです。
しばらくのち、各地を旅していた弘法大師がやってきて、『確かに私が但馬国筒江で、彫った物であると語った』
それを聞き、弟子の雲龍は、この地を布施と名付け、このお寺を開創したそうです

ちなみに、巳の日に行くと弁天様にちなんで、玉子を頂けます。 早目に行かないとすぐに無くなります

本堂
実際のご本尊は、もう少し小さいものなのではないかと考えています。
平将門の乱の折、戦火を避けて場所を移したとか、江戸時代に布施の香取神社より、今の地に戻したとか、色々な説があるので、今の形になったのは、江戸時代以降だろうと思われます

ちなみに、ご本尊お札だとこんな感じ
しかし、明治の頃の絵馬を見ると、水の中にある様に見えます。
不思議です

私の一番のオススメポイントは、鐘楼です

多宝塔式の総檜造りで、基担は、御影石八角形、その上に12本の円柱で、円形の本体を構成し、その円頭に十二支の彫刻を配して方位を表している。
つくば市谷田部の名主伊賀七の設計で、図面は完全な形でその子孫に伝わっている。
伊賀七は、からくり伊賀七と検索するとWikiでも出てくる凄い人です。
近いうちに、詳細をUPしますね。
しかし、この鐘、複雑過ぎてどう付けてあるか、わからなかったんです
で、軍が無理やり切って外して持っていたとか…

設計図、ずっと大事に保存してくれていたので、元に戻せたわけです

五重塔
長くなったので、②へ続きます。