この数日は 安宅の関”(小松市)に関したブログ記事からでしたが
そんな苦難の旅を続けた源 義経には日本各地に伝説も残されています。
『義経の舟隠し』 と呼ばれる謎の場所が能登半島にありましたのでご紹介します。
ここは石川県の羽咋郡志賀町という地域で能登半島で西側の海岸線になります。
厳しい環境なのですね、樹木が強風で変形しているのが分かります。
国定公園の能登金剛。
2007年の能登半島地震で観光の弊害があり訪れる人々は減りました。
関野鼻・ヤセの断崖”という有名な景勝地に近い義経の舟隠し。
春の遅い能登で、荒涼とした風景が…ドラマのようですね。
もう少し歩きましょう。 珍しい野鳥の姿や声も聞こえます。
この海岸は、カルスト地形という石灰岩地層が荒波の浸食を受けたもの。
奇岩の変化を楽しむ撮影にも最高ですね。
もう少しですね…
ずっと右の方向に移動しますと、関野鼻など整備された遊歩道もあるんです。
義経一太刀岩、弁慶二太刀岩”という奇岩や裸弁財天様を祀った洞窟があります。
奥州に逃亡する際、源義経と一行が追跡を振り切るために選んだ上陸地点。
そう…語り伝えられているそうです。
義経達の時代の舟は小舟でした、人里離れた未開地の能登…
断崖絶壁の入り江に、なんと48隻もの舟を隠したというものです。
(それは、つまりある程度の軍勢?なのでしょうか)
源 義経は壇ノ浦の合戦図で見られるように早い小舟が中心の船団だとすると
この入り江なら間口で5メートル、深い奥行きが100メートルくらいです。
なんとか…48隻という数が隠せたのかもしれません。
日本海からの寒風が吹きすさぶ断崖は人間の侵入を拒む城砦のようです。
鋭い岩壁の囲むクレパスのような地形、断崖の高さに注意して見学しましょう。
まさしく歴史の謎と不思議は~いっぱいです。
折からの暴風による時化(しけ)も避けるべく義経が入り江で舟を隠した。
決死の思いの船団には緊急避難の為であったかもしれません。
いまも強い海風が吹きあがる断崖は、当時から変化のない景観でしょうね。
これこそ人外の魔境のように荒々しい能登の外浦の風景だと感じました。
義経の逃亡? むしろ歴史の嵐から凱旋…
Triumph kamerad.…独 (トリウンフ カメラート)
さて、私も迷彩色で隠しておいた愛車に乗り…次の場所へと移動です。

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