【久保田るり子の外交ウオッチ】
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110625/plc11062512010007-n1.htm
フクシマを見た世界が問う。
「フクシマ」のその後を世界がみている。今後、冷却安定化はどうなるのか。日本はエネルギー政策をどう変えるのか。原発か脱原発かの2極論をどう収束させるのか。技術力、政治力、外交力について、『日本はどういう国なのか』が問われている。また核セキュリティー専門家はの核テロの「教訓」としてフクシマに注目している。世界の視点と日本の問題について核不拡散・セキュリティーに詳しい一橋大の秋山信将准教授に聞いた。
(久保田るり子)
「世界のフクシマ」を日本はなぜ、好機とできないのか
世界がフクシマに注目する理由のひとつは、作業中に起きたチェルノブイリ事故やスリーマイル事故とは異なり、原因が外部衝撃であるだけに、核テロの防御につながるデータを多く収集することができるためだ。
「電源のブラックアウト(喪失)、海水ポンプの破壊、使用済み燃料プールの脆弱性-こうした事象はいずれも核攻撃を検討する上での教訓となりえる。米研究機関などから分析が出始めた。また水素爆発の結果、現在進行中の高濃度放射能汚染も、これをいかに防ぐかという問題と同時に、社会的な混乱への備えという事例を提起している」と秋山准教授は概観する。
研究では、核テロが首都で起きるケースや、放射能汚染物が空中から散布されるケースなど、さまざまな想定が想起されているという。原発がテロに対しきわめて脆弱であることは過去、何度も提起されてきたが、「フクシマ」はシナリオの現実性を一気に高めた格好だ。
別の研究者は指摘する。
「起きうるべき事故が日本で起きたことに世界がホッとしているのも暗黙の空気だ。日本であればデータも出る、事故処理に米仏の協力を得られるからだ。北朝鮮や中国で起きたらその汚染拡大の被害は想像を絶しただろう。日本がいまの事態を乗り越えることができれば、原発の安全基準、安全管理に貢献する国際社会への意味は大きい」
日本は6月、国際原子力機関(IAEA)に福島第一原子力発電所事故の中間報告書を提出した。6月下旬に開かれたIAEA閣僚会議に出席した海江田万里経済産業相は「安全確保を大前提として今後の原子力政策の進め方を検討する」と述べ、「原発事故の教訓を各国と共有する」として、原子力安全・保安院の独立などの体制見直しを宣言した。
だが、事故報告書は「謝罪と反省」と経過詳述の羅列で、判断や指示といった政策決定の責任の所在は明らかにしていない。今後の事故調査・検証委員会が政治決定にどこまで踏み込めるかも前途多難だ。
IAEAなど世界の検証の目は技術レベルは可能だが、日本の政治慣習には不案内であり、干渉ができない。
「いま国際社会から問われているのは、『日本はどういう国なんだ』ということだ。将来のリスク削減のための政策について共同研究の枠組みなどを提案し、各国に理解を求め、共感を得るための外交を展開する必要がある」(秋山准教授)
国の総力を挙げて原子力安全に取り組むという強い意志を、日本は国際社会に打ち出すことができていない。理由が政治の混迷にあることは言うまでもない。IAEAでは『硬直的な政策決定の遅れで、その間に原発が燃えてしまった』(ロシア)と皮肉られた。
フクシマの教訓は、来年3月の核セキュリティー・サミット(韓国・ソウル)の主要テーマでもあるが、このままでは日本の存在感を示すことすら、危うい。
日本の政治は原発か脱原発かの危険な「2極化」を演出するつもりか?
菅直人首相は「私の顔を見たくなければこの法案を通してほしい」などと、風力、太陽光などの電気を電力会社が固定価格で買い取る再生エネルギー特別措置法案に執着し、「成立が条件」と延命の方便に使い始めた。
自然・再生エネルギーを日本の成長戦略にどう組み込んで青写真を描くかは国家基本の問題である。企業側のコスト増や消費者の負担増など慎重に検討を要する再生エネ法で「脱原発ムード」を利用して支持率を上げようなどということが通る道理はない。
日本の原発はこのままでは1年以内にすべて停止する。原発再稼働を軸にエネルギー政策を立て直し、中長期の将来像をいま考えずに、いつ考えるのか。
秋山准教授はこう指摘している。
「アジアではベトナムはもちろん、マレーシア、インドネシア、タイなど途上国が原発システム導入に参入してくる。日本の教訓を共有し、国際安全基準・協力に寄与することが地域の安全に貢献する。そうした提言が日本のクレディビリティ(信頼性)につながるのだが」
視野の狭い政争のなかにあっては、世界の問いに応えられそうにない。