「夕刻の備忘録」 様のブログより。
自民党は“反省”するべからず、と繰り返し書いてきた。何度書いても、何度書いても書き足りない。“自民党は変わった!”と言われたい病気は一向に治る気配が無いからである。
「自民党は真摯な反省の上にたって、変わらねばならない」という聞き飽きた主張は、一体何処から来たものなのか。派閥の領袖から新人議員まで異口同音にこれを繰り返す。これほど効果の上がらない言葉を、何故執拗に繰り返しているのだろうか。
そもそも、これまで自民党を支持してきた有権者に対して失礼だとは思わないのか。変わるべきところが山のようにある政党、即ち善からぬ政党を支援してきた有権者は、善からぬ有権者ではないか。どう考えてもそうなる。事実、他党の支援者からは、そのように揶揄されている。善からぬ政党を支持する以上は、何か見返りがあるのではないかと。
自らの過去と業績に誇りが持てない政党なら、日本の伝統や文化を語る資格は無い。自分に、自分の属する組織に誇りが持てない人間が、何故国家を誇りに思い、それを基軸に政策を立てることが出来るのか。見事な矛盾であろう。
ポピュリズムを否定しながら、これは明らかなポピュリズムである。
大衆迎合以外の何ものでもない。
自民党、最大の敵は他党ではない。マスコミである。対マスコミに対して主戦論を唱えない限り、如何なる反省も無意味であり有害であり、為すべきではない。自民党唯一の反省点は、ここまでマスコミを増長させ、これを放置してきたことである。そして、それに便乗する発想である。これ以外に反省点などあるはずがない。
自民党の負のイメージは全て、マスコミによって作られてきたものである。それを根本的に解決せずして、自民党にも、そして日本国にも明日は無いのである。
こうした反省癖、改革癖こそが大至急無くさねばならない“反省点”である。そして、開かれた国民政党であり、自由で闊達な議論が常に行われている政党であることを、その最大の長所を捨てねば、対マスコミ戦に勝利することは不可能である。
★ ★ ★ ★ ★
またしても、またしても“造反者”が出た。これこそが最大の反省点である。本人だけに留まらず、自民党は党を挙げて、この問題を徹底的に議論すべきである。
造反者が出ることが既に思い上がりなのである。
大与党時代の自民党なら、それには意味があった。元々役立たずの野党しか存在しない我が国で、自民党の党内野党が主流派に噛み付いて、徹底的な対抗心を燃やすことには、政治的なバランスを取る意味で、重大な使命があったといってよい。
勿論、党内での自身のプレゼンスの為に、勝手気ままに暴れ回る愚者もいよう。腹立ち紛れに対立の為の対立を繰り返すバカもいよう。しかし、それでも大与党の在り方としては、極めて健全であった。自民党に対する派閥批判など、「事実上の野党」の存在を否定しているようなものであり、極めて不見識なものであると言わざるを得ない。
しかし、これは全て与党時代の話である。
今や野党である。野党自民党に内部抗争は要らない。
“自由”は要らないのである。
野党に取って必要なものは「一致団結」、それのみである。
ましてや、数の上では極端に劣っている現状で、団結せずして何が為し得るというのか。自分の信条や政治的なスタンスを捨ててでも、何が何でも一致団結である。結束して事に当たらねば吹き飛ばされてしまうだけだろう。
その点、万年野党だった民主党は見事に野党精神のままではないか。選挙違反をしても素知らぬふりである。逮捕されても議員辞職すらさせない。失言、放言、暴言の数々、毎日毎日、失態の限りを尽くしても、批判の声すら挙がらないではないか。破廉恥なまでの「一致団結」である。
この二つの現象がマスコミの手によって加工される。
党内で意見の統一すら出来ない自民党。
何があっても国民生活の為に耐えて前進する民主党、である。
党の方針に逆らって、会期延長に賛成した議員は何も分かっていない。自民党の存在意義も、今の立場も、支援者の気持ちも何も分かっていない。
曰く「国民に説明が出来ない」「何時までも永田町の論理ではダメだ」云々と、相変わらずの反省・改革宣言であるが、国民に説明が出来ない、と主張する「あなたの言う国民とは誰のことなのか」。あなたの言う世の中とは、何を指しているのか。
「被災地を思い、苦渋の決断で会期延長に賛成した」という台詞には何の説得力も無い。そもそも「影の内閣」とやらに名を連ねている議員が、この程度の問題で苦渋の決断も、難しい判断もないものである。
国会はねじれ国会だが、日本国は今や「ねじれ国家」なのである。民主党が崩壊した後、その後始末に忙殺されるのが、近未来の自民党の姿である。その時の閣僚を、事前に宣言したものが「影の内閣」の定義であろう。その時に曝される矛盾は、日本政治史上最大の矛盾である。国際会議にて為された無意味な約束は数知れず、○○談話の類もあり、原発問題を軸に国際的な信用も下がり、国内においても国外においても、まさに難問山積であって、それのどれ一つとっても、論理的解決の出来ないものばかりである。
それを政治的判断によって、少しでも現状よりまともに変えていくのが、影の内閣の構成員たる閣僚候補者の務めであろう。しかし、そうした巨大な矛盾に挑む遙か以前のこの段階で、国民に対する説明が出来ないだとか、苦渋の判断であるとか、菅の延命には手を貸したくないが、国会70日延長は飲むべきであるとか、そんな幼稚な発想で自党の方針に反旗を翻るようでは、全く話にならない。「閣僚の資質無し」と断じておく。
「自民党は真摯な反省の上にたって、変わらねばならない」という聞き飽きた主張は、一体何処から来たものなのか。派閥の領袖から新人議員まで異口同音にこれを繰り返す。これほど効果の上がらない言葉を、何故執拗に繰り返しているのだろうか。
そもそも、これまで自民党を支持してきた有権者に対して失礼だとは思わないのか。変わるべきところが山のようにある政党、即ち善からぬ政党を支援してきた有権者は、善からぬ有権者ではないか。どう考えてもそうなる。事実、他党の支援者からは、そのように揶揄されている。善からぬ政党を支持する以上は、何か見返りがあるのではないかと。
自らの過去と業績に誇りが持てない政党なら、日本の伝統や文化を語る資格は無い。自分に、自分の属する組織に誇りが持てない人間が、何故国家を誇りに思い、それを基軸に政策を立てることが出来るのか。見事な矛盾であろう。
ポピュリズムを否定しながら、これは明らかなポピュリズムである。
大衆迎合以外の何ものでもない。
自民党、最大の敵は他党ではない。マスコミである。対マスコミに対して主戦論を唱えない限り、如何なる反省も無意味であり有害であり、為すべきではない。自民党唯一の反省点は、ここまでマスコミを増長させ、これを放置してきたことである。そして、それに便乗する発想である。これ以外に反省点などあるはずがない。
自民党の負のイメージは全て、マスコミによって作られてきたものである。それを根本的に解決せずして、自民党にも、そして日本国にも明日は無いのである。
こうした反省癖、改革癖こそが大至急無くさねばならない“反省点”である。そして、開かれた国民政党であり、自由で闊達な議論が常に行われている政党であることを、その最大の長所を捨てねば、対マスコミ戦に勝利することは不可能である。
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またしても、またしても“造反者”が出た。これこそが最大の反省点である。本人だけに留まらず、自民党は党を挙げて、この問題を徹底的に議論すべきである。
造反者が出ることが既に思い上がりなのである。
大与党時代の自民党なら、それには意味があった。元々役立たずの野党しか存在しない我が国で、自民党の党内野党が主流派に噛み付いて、徹底的な対抗心を燃やすことには、政治的なバランスを取る意味で、重大な使命があったといってよい。
勿論、党内での自身のプレゼンスの為に、勝手気ままに暴れ回る愚者もいよう。腹立ち紛れに対立の為の対立を繰り返すバカもいよう。しかし、それでも大与党の在り方としては、極めて健全であった。自民党に対する派閥批判など、「事実上の野党」の存在を否定しているようなものであり、極めて不見識なものであると言わざるを得ない。
しかし、これは全て与党時代の話である。
今や野党である。野党自民党に内部抗争は要らない。
“自由”は要らないのである。
野党に取って必要なものは「一致団結」、それのみである。
ましてや、数の上では極端に劣っている現状で、団結せずして何が為し得るというのか。自分の信条や政治的なスタンスを捨ててでも、何が何でも一致団結である。結束して事に当たらねば吹き飛ばされてしまうだけだろう。
その点、万年野党だった民主党は見事に野党精神のままではないか。選挙違反をしても素知らぬふりである。逮捕されても議員辞職すらさせない。失言、放言、暴言の数々、毎日毎日、失態の限りを尽くしても、批判の声すら挙がらないではないか。破廉恥なまでの「一致団結」である。
この二つの現象がマスコミの手によって加工される。
党内で意見の統一すら出来ない自民党。
何があっても国民生活の為に耐えて前進する民主党、である。
党の方針に逆らって、会期延長に賛成した議員は何も分かっていない。自民党の存在意義も、今の立場も、支援者の気持ちも何も分かっていない。
曰く「国民に説明が出来ない」「何時までも永田町の論理ではダメだ」云々と、相変わらずの反省・改革宣言であるが、国民に説明が出来ない、と主張する「あなたの言う国民とは誰のことなのか」。あなたの言う世の中とは、何を指しているのか。
「被災地を思い、苦渋の決断で会期延長に賛成した」という台詞には何の説得力も無い。そもそも「影の内閣」とやらに名を連ねている議員が、この程度の問題で苦渋の決断も、難しい判断もないものである。
国会はねじれ国会だが、日本国は今や「ねじれ国家」なのである。民主党が崩壊した後、その後始末に忙殺されるのが、近未来の自民党の姿である。その時の閣僚を、事前に宣言したものが「影の内閣」の定義であろう。その時に曝される矛盾は、日本政治史上最大の矛盾である。国際会議にて為された無意味な約束は数知れず、○○談話の類もあり、原発問題を軸に国際的な信用も下がり、国内においても国外においても、まさに難問山積であって、それのどれ一つとっても、論理的解決の出来ないものばかりである。
それを政治的判断によって、少しでも現状よりまともに変えていくのが、影の内閣の構成員たる閣僚候補者の務めであろう。しかし、そうした巨大な矛盾に挑む遙か以前のこの段階で、国民に対する説明が出来ないだとか、苦渋の判断であるとか、菅の延命には手を貸したくないが、国会70日延長は飲むべきであるとか、そんな幼稚な発想で自党の方針に反旗を翻るようでは、全く話にならない。「閣僚の資質無し」と断じておく。