両陛下、ご静養は3泊。
1分手握る、腕さする…被災者癒された雅子さま。
天皇、皇后両陛下は4日から7日にかけ、葉山御用邸(神奈川県葉山町)で静養された。これまで書いてきたように、両陛下は7週連続で東日本大震災の被災地・避難所を訪問し、その翌週(5月21、22日)にも和歌山県を訪問するなど、震災以来忙しい日々を過ごされてきた。
今回のご静養は3泊4日の短いものだったが、浜辺を散策するなどされ、「お元気で、充実したご滞在だったと聞いている」(宮内庁の羽毛田信吾長官)という。秋篠宮ご夫妻と長男の悠仁さまも、4日から5日の昼ごろまで滞在された。
静養中の6日には、両陛下で神奈川県三浦市の県水産技術センターを訪問し、さまざまな生物が産卵・保育場として利用する海草「アマモ」の研究の様子を視察された。
センターには、ドチザメ、ハコフグ、メバル、ヒトデなどさまざまな海の生き物に触れられる「タッチングプール」という浅い水槽があった。社会科見学の小学生らを対象にしたものだそうで、両陛下も興味を持たれた様子だった。
皇后さまは、手のひらに余る大きさの軟体動物「アメフラシ」(ウミウシ)や、白いナマコなどを次々に手に取られた。刺激を受けたアメフラシが、紫色の液体を出す「ハプニング」もあったが、動じずにいとおしそうに眺められていた。ハゼの研究者の顔を持つ陛下は、にこやかにそうした様子を見守ったが、生物には触れられなかった。
陛下は8日、東京海洋大学の越中島キャンパス(東京都江東区)を訪れ、大学内の資料館で開催中の特別展示「明治丸の航跡を求めて-海洋立国日本のあけぼの-」をご覧になった。
明治丸は明治7年に竣工(しゅんこう)した鉄船で、明治天皇が乗船したこともある国の重要文化財。両陛下は、資料館で明治丸の模型や写真などの展示物をご覧になった。
宮内庁によると、陛下は、学習院初等科4年生だった昭和18年5月、見学旅行で東京高等商船学校(当時)を訪れ、訓練船だった明治丸をご覧になったことがあるという。
陛下は、昭和時代の明治丸が学校近くの海に浮かんでいる写真を見て「陸にあったと思ったけど…」と当時のことを思い出されている様子だった。
その後、両陛下は、資料館の2階にある展望台から屋外の明治丸をご覧になった。甲板では、学生たちが手旗信号で、両陛下に「ようこそ 東京海洋大学へ 歓迎」とあいさつ。皇后さまは陛下に「『ようこそ』まで分かる…」と話しかけられた。皇后さまは小学生のときに手旗信号を習われたことがあるという。
両陛下は明治丸の中にも入り、明治天皇が使用した貴賓室「御座所」も見学された。明治丸は昭和20年から26年にかけて、米軍に接収された。その間、御座所の壁に飾られた板絵は米軍によってペンキを塗られてしまったという。接収が解除された後、ペンキは丁寧に落とされ、美しい絵も復元された。
陛下は「米軍がずっと使っていたの?」とご質問に。海に浮かんだ状態で社交場として使われたという説明を受けると「船としてではなくて?」と話されたという。
陛下は9日、お住まいの皇居・御所で、西アフリカ・トーゴのニャシンベ大統領と会見された。陛下が外国元首と会見されるのは、震災後初めて。
宮内庁によると、陛下は会見で、ニャシンベ大統領が8日、埼玉県加須市の避難所を見舞ったことについて「そういう形で大統領が被災者に対する同情の気持ちを示したことに感謝します」と謝意を表明されたという。
皇后さまは9日、皇居内の紅葉山御養蚕所で、蚕の繭を収穫する「初繭掻(はつまゆかき)」の作業をされた。皇后さまが自ら作った「蔟(まぶし)」とよばれるわらの網から、繭を丁寧に取り出された。
職員から、今年は例年に比べ大きくて質の良い繭ができたと聞くと、皇后さまは「蚕さんが上手にしてくれたから」「ようございました。病気もなかったから」と喜ばれた。
皇后さまは職員に「桑の生育とどういう関係で大きくなったの?」とご質問に。今年は雨が多く、桑の葉が柔らかかったためと聞くと「乾いているとパサパサして、いただきにくいのでしょうか」と話された。
繭を取り出しながら、皇后さまは「わら蔟が使われていないと聞いてびっくりしました。残していかないと」と話し、養蚕農家でも近年、わらで手作りした蔟が使われない現状について心配された。皇后さまは「必ず毎年編めるようにしましょう」と今後もご自身でわら蔟を作る決意を語られた。
皇太子ご夫妻は4日、東日本大震災の被災者を見舞うため、自衛隊機を使って宮城県を日帰りで訪問された。今回の震災で、ご夫妻が被災地に入られたのは初めて。
ご夫妻による震災関連のご訪問は避難所の東京都調布市(4月6日)、埼玉県三郷市(5月7日)に続くもので、1カ月1回のペースとなっている。宮内庁の野村一成東宮大夫は10日の定例会見で、1カ月1回ペースとなっているのは、病気療養中の皇太子妃雅子さまの医師団などから意見があったわけではなく、「たまたま」そうなっているだけだと説明した。
宮城に入ったご夫妻は、180人が亡くなった岩沼市で、特に被害が甚大だった相野釜地区をご視察。黙礼された。
井口経明市長が地盤沈下について触れ「天明の飢饉(ききん)以来の史上最大の惨事です」と訴えると、ご夫妻とも農業被害について心配されたという。視察を終えると「早く復興していただきますように」と話されたという。
続いてご夫妻は671人が犠牲になった山元町に車で移動し、避難所になっている学校施設2カ所を続けて訪問し、被災者を見舞われた。
雅子さまは、子供たちにも優しく話しかけられた。斎藤桃香さん(3)には「かわいいお名前ね」。中学3年の女子生徒には「部活は何ですか?」と尋ねられ、ソフトボール部でショートを守っていることを聞くと、「私はサードをやってました。そっちのほうがかっこいいですね」と笑顔を見せられた。
津波の話をしている最中に涙ぐんだ鈴木弘子さん(67)に対しては約1分にわたって手を握り続け「お辛かったですね」「大変でしたね」などと声をかけられた。
ほかの被災者に対しても真剣な表情で話に聞き入り、ハンカチで目を押さえられる場面もあった。突然泣き出した女性(45)には「辛かったでしょう。今まで我慢されていたんでしょう」と目を真っ赤にしながら、相手の腕をさすり、慰められた。
また、9日はご夫妻の結婚記念日だったが、今年は両陛下が出席されての夕食会は行われなかった。
長女の敬宮愛子さまは、今週も1時限目から登校する日が続かれたという。
各宮家は今週もさまざまな公務を果たされた。
秋篠宮さまは6、7の両日、京都府をご訪問。「2011年国際電気通信会議」記念式典に臨まれた。
秋篠宮妃紀子さまは7日、ホテルメトロポリタンエドモント(東京都千代田区)で「第58回産経児童出版文化賞」贈賞式に臨まれた。
常陸宮妃華子さまは6日、岩手県をご訪問。避難所で、東日本大震災の被災者を見舞ったほか、動物愛護団体「動物いのちの会いわて」による動物救護所に足を運ばれた。華子さまは日本動物福祉協会の名誉総裁を務められている。
三笠宮妃百合子さまは4日、88歳の誕生日を迎えられた。
高円宮妃久子さまは6日、椿山荘(東京都文京区)で、フランス語婦人会の総会と昼食会に臨まれた。
アマモを育てている水槽を見学される天皇、皇后両陛下
=6日午後、神奈川県三浦市の同県水産技術センター(代表撮影)
特別展示「明治丸の航跡を求めて」の会場を訪れ、展示品に見入られる天皇、皇后両陛下
=8日午前、東京都江東区の東京海洋大学越中島キャンパス(代表撮影)
被災地へのお見舞いのため、仙台空港に到着された皇太子ご夫妻=4日午後1時36分(代表撮影)
避難所を訪れ、被災者に声を掛けられる皇太子ご夫妻=4日午後、宮城県山元町の山下小(代表撮影)
「第58回産経児童出版文化賞」の贈賞式に出席された秋篠宮妃紀子さま
=7日、東京都千代田区のホテルメトロポリタンエドモント(緑川真実撮影)