「ポスト3・11」の日米同盟。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 







【世界のかたち、日本のかたち】大阪大教授・坂本一哉




■「ポスト3・11」の日米同盟

 9・11米中枢同時テロが起こったとき、私はワシントン郊外にある米国立公文書館で米国の外交文書を調査していた。朝10時半頃だったと思うが突然、「今日はこれで終わります」とアナウンスが流れ、他の研究者や館員たちとともに屋外へ退避。わけがわからぬまま乗った帰りのシャトルバスのラジオで事件を知ったときの驚きは、昨日のことのように思い出すことができる。

 しばらく米国に滞在していたこともあって、先日、米国特殊部隊によるウサマ・ビンラーディン殺害のニュースを聞いたときには、あれからもう10年という感慨とともに、この殺害が米国にとって時代の区切りになるだろうという感想をいだいた。

 テロリストの活動は今後も続く。だから警戒を怠るわけにはいかない。だが10年前に始まった「テロとの戦い」には、ビンラーディンを倒したことで一応の決着がついた。米国民の多くはそう考えるのではないか。その意味で米国は「ポスト9・11」から「ポスト・ポスト9・11」に時代が移るかもしれない。

 もしそうだとすれば、3月11日に発生した東日本大震災の衝撃によって日本が新しい時代(「ポスト3・11」の時代)に入ろうとしているときに、米国も新しい時代を迎えることになる。今後の日米同盟の運営は、この双方の時代変化がもたらす影響をよく考慮に入れる必要があるように思う。

 「3・11」では、多くの日本人が、日米同盟のありがたさを感じたはずである。米国は大震災発生とともに迅速に動き、米軍人約2万人、航空機約160機、艦船約20隻を投入。米軍は自衛隊と協力して復旧、捜索・救助、被災者支援などにあたった。自衛隊が10万人もの大量の人員を大震災対応に割くことができたのも日米同盟の抑止力を背景にしてのことである。

 むろん米国は、日米同盟がなかったとしても、大震災下の日本に助けの手を差し伸べたにちがいない。しかしその場合に、ここまでの力の入れようになったとは考えにくい。まさに同盟の価値は「いざ」となったときに表れるものである。

 もっとも、日米同盟のように抑止力がよく機能している同盟は、めったなことでは「いざ」とならない。それはよいことなのだが、同盟の価値を見えにくくするところがある。「9・11」も「3・11」も日米同盟が安保条約で想定している「いざ」ではなかった。

 だが「想定外」ではあれ、この2つの危機はまさしく同盟のめったにない「いざ」であった。「9・11」に際し日本は米軍などへの給油目的で自衛艦をインド洋に派遣。米国政府は感謝したし米メディアも日本が第二次大戦後はじめて米国のためにそうした軍事的活動をしていると伝えた。

 もしあの時、「想定外だから」「条約に書いていないから」と言って何もしなかったら、同盟の絆はその瞬間に切れていただろう。「3・11」で米国の支援がおざなりのものだったらどうなるか、と逆に考えてみればすぐにわかる。

 「9・11」から10年後、日米同盟は21世紀2つ目の「いざ」を力強く乗り切りつつある。両国が新しい時代を迎える中、同盟の絆が再び強くなるのは間違いないと思う。

                                     (さかもと かずや)