健さんはもう傘寿になっていたのか。東映の、いや日本映画の一時代を築いた岡田茂さんの通夜を報じた11日付のサンケイスポーツは、高倉健さんが寄せた「大きな時代の節目を感じるおしらせでした」という弔電とこの数年間、公の場からぷっつりと姿を消した彼の近況を伝えていた。
▼「昭和残侠伝」の「死んでもらいます」にしびれた全共闘世代の多くも定年とあらば、健さんが80歳でも不思議はないのだが、時の流れは早い。先月までやっていたNHKドラマ「てっぱん」を見て「緋牡丹お竜はやっぱりいいね」と言ったら、若い同僚に首をひねられたのはショックだった。
▼昭和40年代に入るとテレビの普及で、映画界は苦境に陥った。沈没寸前の東映を任侠路線とテレビ重視に舵(かじ)を切って成功させたのが岡田氏であり、スターの階段をかけあがったのが健さんや藤純子(現・富司純子)さんだった。
▼若手抜擢(ばってき)は、経費節減のもくろみもあったようだが、冒険を恐れぬ社風と時代がマッチした幸福な時代だった。“進歩的な”評論家の眉をひそめさせた「二百三高地」を堂々と世に問い、ヒットさせたのも彼だった。
▼日本映画界は低迷期を脱し、若い才能がどんどん伸びている。興行的にも好調だが、企画がどうも小粒になった気がするのは、こちらが年をとったからだろうか。
▼と、心配していたら菅原文太さんが、通夜の席で「今の偽善的な世の中にパンチを食らわす作品が必ず生まれます」と宣言してくれた。題材はそこら中にころがっている。「想定外」の大惨事に怒鳴る首相に右往左往する官僚。決死の覚悟で現場に飛び込む作業員や自衛隊員たち。岡田氏健在ならきっとゴーサインを出すだろう。