【祈り 両陛下と東日本大震災】(中)
「食事は、簡単なものでいいから」
東日本大震災後、天皇、皇后両陛下は食事を担当する職員にこのように指示される場面があったという。東京電力の計画停電で「第1グループ」に分類された地域の停電予定に合わせ、1回約2時間、暖房や電灯など電気の使用を控える「自主停電」をされているためだ。
「停電中だと、調理に支障がでるだろうというご配慮だったのではないか」と側近は振り返る。
那須御用邸の職員用風呂の開放、御料牧場で取れた卵、缶詰などの提供…。両陛下が地震後に意向を示された前例のない取り組みの中でも、自主停電は特徴的だ。
自主停電は「国民と困難を分かち合いたい」として3月15日に始められた。皇居がある東京都千代田区は計画停電の対象になっていないことについて、陛下は「ノルマがないからこそ、自分で厳しく律さないといけない」と話されたという。
寒さは厚着で
自主停電中、両陛下は夜間にろうそくや懐中電灯で灯りをとり、寒さはセーターなどの厚着でおしのぎになった。側近によると、皇后さまは東日本大震災発生後まもなく、職員とともに御所で保管しているろうそくを集めるとともに、懐中電灯が点灯するか自ら確認をされたという。
自主停電の時間によっては、ろうそくの明かりのもとで夕食を取られることもあった。その際には、余震で倒れる可能性を考え、低い位置まで水を入れた水槽の中に、火をつけたろうそくを立てられていたという。
陛下のご公務にも変更が生じた。「電力消費の大きい宮殿の使用は必要最小限に」という両陛下のご意向で、宮内庁は3月14日以降、宮殿の使用を、閣僚などの認証官任命式と、新しい駐日外国大使を迎えて行う信任状捧呈(ほうてい)式に限定。ほかの宮殿行事はお住まいの御所で実施している。
3月31日、陛下が離任する駐日トルコ大使を御所で引見されたときには、ちょうど自主停電の時間にあたった。
「照明も暖房もない応接間で行われた。幸い天気が良く、障子ごしに差し込む陽光で十分明るかったのではないか」と宮内庁幹部。皇室の国際親善を担当する式部職が、事前に両陛下の自主停電のお取り組みについて説明したところ、トルコ大使は深く納得した様子だったという。
「御所はプライベートな空間で、本来、外国人であれば王族など親しい方しか入れない。洋風な宮殿と違い、日本的な渡り廊下や障子があり、トルコ大使は御所での手厚い対応を喜んでいた」そうだ。
今月21日にオーストラリアのギラード首相を引見された時間も、自主停電の時間にあたった。宮内庁幹部は「何ら支障はなかった」と話す。
「不実施」でも継続
両陛下は皇太子時代から節電を心がけてこられた。第1次オイルショックが起きた昭和48年、陛下が40歳を迎えた誕生日の記事には、電気スタンドをつけず、薄暗い部屋で読書されることがある、と報じられている。
両陛下は、今回の自主停電では、ブレーカーを全部落とされているわけでない。御所には配電盤がいくつもあり、防犯や防災など安全に関わる部分や両陛下の医薬品を管理する冷蔵庫の電源は、自主停電の間も電力を切ることはなかったそうだ。「不必要な部分を徹底的に洗い出し、節電するのが両陛下のなさりよう」と側近は話す。
東京電力では、「電気の需給バランスが著しく改善した」として、計画停電を8日から「原則不実施」としたが、実は両陛下は自主停電をその後も毎日続けられている。計画停電が終わっても、東電では「やむを得ず計画停電を実施する場合」のスケジュールを発表し続けており、両陛下はこれを利用されているようだ。
夏場に打ち水をするなど、節電のため日頃から工夫している両陛下は、今月末で自主停電に区切りをつけ、通常の節電生活に戻られる。
夏の電力不足は不可避といわれ、都心部でも不安が広がる。こうした中、身の回りのことに目を向け、黙々と行動する両陛下のご姿勢は示唆に富む。側近は「両陛下は、苦境の中で『国民に模範を示せれば』というお考えもあるのではないか」と話す。