「夕刻の備忘録」 様のブログより。
津波が誘発した原発事故に関連して、津波の高さを低く見積もった責任を問う声が強い。「災害対策に想定外は絶対に許されない!」と言うのである。かつて生じた津波からも、「今回の規模は予想出来た」「震度7も当然予測された範囲だ」と叫ぶのである。東電の責任を論じる際には、必ず出て来る発言である。
しかし、「想定外は許されない」と声高に言う人に問いたい。
高さ十メートルを超え、這い上がり高さは四十メートルにおよび、内陸五十キロメートルまで川を逆流した凄まじい津波に、兎にも角にも原発建屋は耐えた。この津波を「基準」にして、次に備えることは当然のことであろう。しかし、次回この規模で収まるという「想定」は誰がしたのか。どんな津波が来ても耐えられる物を作れというのか。国土が丸ごと沈下するほどの地震が来ても、そこに平然と立っている建物をお望みなのか。
そんな物が人間に作れると思っているのだろうか?
人間に出来ることは、自然と戦うことではない。
戦って勝てる相手ではない。
我々に出来ることは、自然に親しみ、その秘密を知り、猛威を避ける。いなす、逃げる、そんなことでしかない。想定外を許さないという人は、人間に対する大きな勘違いをしている。敢えて言えば傲慢である。人類の叡智は偉大である、しかし、そこには自ずと限界がある。
★ ★ ★ ★ ★
「はやぶさ」は記憶に新しい、まさに技術立国日本の快挙であった。この探査機の正式名称は何を意味しているか。小惑星探査機とは、小惑星の誕生からその消滅まで、人類の知見を広めるために、直接着陸してサンプルを持ち帰るという壮大な計画を担う宇宙機である。小惑星を知ることは、我々の地球の生い立ちを知ることでもある。そして同時に、何時、地球に衝突するかもしれない、多くの小惑星群の質を知ることでもある。
大変幸運なことに、今まで地球衝突軌道に乗った小惑星も途中でそのラインから逸れてくれた。しかし、仮に地球表面まで到達した場合、その破壊力は広島型原爆の数百とも数千倍とも言われている。海洋部に落ちた場合、そこから生じる津波の高さは、10メートルや20メートルなどという「小さい」ものではない。
高台に移り住めば大丈夫だ、と強調するコメンテータもいたが、小惑星衝突時に、高台など何の意味も持たない。陸地に落下した場合、生じる地震波は人類が未だ経験したことのないレベルのものになるだろう。
想定外は許されない、と言う人は小惑星衝突も、意識の中にあるのだろうか。「そんな無茶な例を持ち出すな!」と逃げないで貰いたい。小惑星衝突は、世界中の学者が真剣に対策を練っている「想定内」の事態なのである。SF話ではないのである。
ここで強調したいことは、要するに「無理な要求はするな」ということである。何事にも想定範囲というものがある。仮定をして、予想をして、対策を練る。何にでも対応可能、どんな場合でも大丈夫などというのは、実は何も対策をしていない人間だけが言えることである。
そして、最も問題視すべきは、「想定外は許さん!」というヒステリックな議論が、あらゆる隠蔽工作を後押しする「現実」である。
原発が本当に必要か否かは、ここでは論じない。ただ、国家の安全保障上、どうしてもエネルギー問題は避けて通れない、エネルギーにおいて自立していなければ、国の将来は無いと考える人達が居て、そして彼等が国を想う、最も良心的な人達だと「想定」して、その先どのような行動を取るだろうかと考えて欲しい。
ワイドショウに出ずっぱりで、エネルギーとアレルギーの区別もつかないような自称知識人が、大衆煽動だけを繰り返し、中身も周辺事情も何もかも切り捨てて、とにかく反対、何でも反対、絶対反対、と叫べば叫ぶほど、彼等は深く静かに潜行して、自分達の信じる国益の為に、「嘘も方便」という体質に変じていくだろう。
真の情報公開を望むなら、沈着冷静であり、客観的事実と、科学的裏付けによって、堂々と議論しなければならない。それを怠り、「何がなんでも反対!」と叫ぶ人間に、ある程度以上の地位を与えてしまうと、相手は秘密主義を取らざるを得なくなる。
今回の事故以後の対応は、言うまでもなく極めて拙劣なものであり、弁護するに難しいものである。糾弾されるべき人間は山ほどおり、解体されるべき組織も多数ある。徹底的に追求するべきである。しかし、であればこそ、「想定外は許されない」などという見当外れの発言は慎むべきなのである。
「想定内のことも出来ていない」、事前の防災訓練の手順すら無視した政府の対応を、厳しく糾弾するべきであり、想定外の部分にまで議論の枠を拡げている暇は無いはずである。政府批判は、この一点に絞るべきであり、この期に乗じて「何もかも想定して計画を練れ」と便乗批判する輩は、少なくとも政治家には適していない。政治的不適格者の相手をするのは、今の政府だけでもう充分である。
しかし、「想定外は許されない」と声高に言う人に問いたい。
高さ十メートルを超え、這い上がり高さは四十メートルにおよび、内陸五十キロメートルまで川を逆流した凄まじい津波に、兎にも角にも原発建屋は耐えた。この津波を「基準」にして、次に備えることは当然のことであろう。しかし、次回この規模で収まるという「想定」は誰がしたのか。どんな津波が来ても耐えられる物を作れというのか。国土が丸ごと沈下するほどの地震が来ても、そこに平然と立っている建物をお望みなのか。
そんな物が人間に作れると思っているのだろうか?
人間に出来ることは、自然と戦うことではない。
戦って勝てる相手ではない。
我々に出来ることは、自然に親しみ、その秘密を知り、猛威を避ける。いなす、逃げる、そんなことでしかない。想定外を許さないという人は、人間に対する大きな勘違いをしている。敢えて言えば傲慢である。人類の叡智は偉大である、しかし、そこには自ずと限界がある。
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「はやぶさ」は記憶に新しい、まさに技術立国日本の快挙であった。この探査機の正式名称は何を意味しているか。小惑星探査機とは、小惑星の誕生からその消滅まで、人類の知見を広めるために、直接着陸してサンプルを持ち帰るという壮大な計画を担う宇宙機である。小惑星を知ることは、我々の地球の生い立ちを知ることでもある。そして同時に、何時、地球に衝突するかもしれない、多くの小惑星群の質を知ることでもある。
大変幸運なことに、今まで地球衝突軌道に乗った小惑星も途中でそのラインから逸れてくれた。しかし、仮に地球表面まで到達した場合、その破壊力は広島型原爆の数百とも数千倍とも言われている。海洋部に落ちた場合、そこから生じる津波の高さは、10メートルや20メートルなどという「小さい」ものではない。
高台に移り住めば大丈夫だ、と強調するコメンテータもいたが、小惑星衝突時に、高台など何の意味も持たない。陸地に落下した場合、生じる地震波は人類が未だ経験したことのないレベルのものになるだろう。
想定外は許されない、と言う人は小惑星衝突も、意識の中にあるのだろうか。「そんな無茶な例を持ち出すな!」と逃げないで貰いたい。小惑星衝突は、世界中の学者が真剣に対策を練っている「想定内」の事態なのである。SF話ではないのである。
ここで強調したいことは、要するに「無理な要求はするな」ということである。何事にも想定範囲というものがある。仮定をして、予想をして、対策を練る。何にでも対応可能、どんな場合でも大丈夫などというのは、実は何も対策をしていない人間だけが言えることである。
そして、最も問題視すべきは、「想定外は許さん!」というヒステリックな議論が、あらゆる隠蔽工作を後押しする「現実」である。
原発が本当に必要か否かは、ここでは論じない。ただ、国家の安全保障上、どうしてもエネルギー問題は避けて通れない、エネルギーにおいて自立していなければ、国の将来は無いと考える人達が居て、そして彼等が国を想う、最も良心的な人達だと「想定」して、その先どのような行動を取るだろうかと考えて欲しい。
ワイドショウに出ずっぱりで、エネルギーとアレルギーの区別もつかないような自称知識人が、大衆煽動だけを繰り返し、中身も周辺事情も何もかも切り捨てて、とにかく反対、何でも反対、絶対反対、と叫べば叫ぶほど、彼等は深く静かに潜行して、自分達の信じる国益の為に、「嘘も方便」という体質に変じていくだろう。
真の情報公開を望むなら、沈着冷静であり、客観的事実と、科学的裏付けによって、堂々と議論しなければならない。それを怠り、「何がなんでも反対!」と叫ぶ人間に、ある程度以上の地位を与えてしまうと、相手は秘密主義を取らざるを得なくなる。
今回の事故以後の対応は、言うまでもなく極めて拙劣なものであり、弁護するに難しいものである。糾弾されるべき人間は山ほどおり、解体されるべき組織も多数ある。徹底的に追求するべきである。しかし、であればこそ、「想定外は許されない」などという見当外れの発言は慎むべきなのである。
「想定内のことも出来ていない」、事前の防災訓練の手順すら無視した政府の対応を、厳しく糾弾するべきであり、想定外の部分にまで議論の枠を拡げている暇は無いはずである。政府批判は、この一点に絞るべきであり、この期に乗じて「何もかも想定して計画を練れ」と便乗批判する輩は、少なくとも政治家には適していない。政治的不適格者の相手をするのは、今の政府だけでもう充分である。