いままで10年以上、写真に関わってきて、また写真がわからなくなってきている。
綺麗な写真、技法を凝らした写真はいくらでも撮れるのだけど、自分の本当に撮りたいものは何なのか?
デカルト、サルトルなどの著書に助けを求めても、自分でなんとかするしかないんだよと言われてるような気がするし、
マグナムという偉大な集団の写真集、アーヴィング・ペン、リチャード・アヴェドン、ウィリアム・クライン、ロバート・フランクなど、学生時代に夢中になった伝説的な写真家達の写真集に答えの片鱗を探してみても、
かすかな光の筋が見えるだけで、それがどのような姿をしているのか認識できない。
アンセル・アダムスが言った、「写真は撮るものじゃない、作るものです」
アンリ・カルティエ・ブレッソンが言った、「私にとってカメラはスケッチブックであり、直感と同時性の道具であり、視覚的な観点から、問いを投げかけると同時に決断を下し、瞬間を把握するものである。カメラという手段の仕組みによって、表現の簡潔さに至る」
ますますわからない。
学生時代に戻った気分だ。
そもそも有名なアーティストの芸術論を辿ったところで、彼らは断言する絶対主義者なので、相対的思考ではかなわない。
だったら個人の絶対的な部分を探し出して表現することがクリエイティブなんだろうと僕は断言する。
そこで僕の絶対領域とはなんぞやと自問自答を繰り返す道中、あるフレーズと出会った。
「写真を撮影する際、意識の地下室にある美術館に並べてみる」
僕の美術館・・・・そうだ、僕は自信の意識の中の美術館を見に行ったことが無いんじゃないか?
さっそく訪ねて見ると、そこにあるのは幼少時に圧倒された宗教画達や権威を示す肖像画達が延々と並べられている。
それこそが僕の絶対領域。
もう少し鑑賞を続けようと思う。
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