われら(岩波文庫):エヴゲーニイ・イワーノヴィチ・ザミャーチン | 夜の旅と朝の夢

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【ロシア文学の深みを覗く】
第36回:『われら』
われら (岩波文庫)/岩波書店

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今回紹介する本は、ザミャーチン(1884-1937)の長編小説『われら』です。

本書はアンチ・ユートピア小説として知られています。「ユートピア」は、イギリスの思想家トマス・モアの著作で語られている架空の国の名前に由来する言葉で、人々が理性的にそして平等に暮らす社会ですが、その一方で、個人よりも全体を優先したり、個人の生活を徹底的に管理したりする全体主義的、管理主義的社会でもあります。

アンチ・ユートピア小説というのは、簡単に言えば、「ユートピア」を、理性によって統制される平等な理想郷として捉えるのではなく、個人の自由が奪われた暗黒郷(ディストピア)として捉えた小説のことです。

ロシアでは、1917年のロシア革命によって、ソビエト社会主義共和国連邦(以下、ソ連)という世界初の社会主義国家が成立するわけですが、その元になったのが社会主義や共産主義といった思想です。社会主義や共産主義は、必ずしも全体主義や管理主義を意味しないのですが、ソ連政府は、自分たちの「イズム」を推し進めるために、全体主義、管理主義としか呼べないような社会体制を構築していくことになります。

1948年、そんなソ連体制を批判した小説が執筆され、翌1949年に出版されました。イギリスの作家ジョージ・オーウェルのアンチ・ユートピア小説『1984』です。

『1984』は、ビッグ・ブラザーを党首とする単一政党によって、管理、監視されている世界を描いたSF風の小説で、特に西欧やアメリカにおいて、全体主義批判の書としての非常に有名になりました。今でも全体主義批判の文脈で引用されることが多い小説です。

『1984』で描かれているのは、人々を監視・管理するためのテクノロジーを濫用した全体主義的国家です。全体主義国家に対する嫌悪感を覚えさせるのに十分なモチーフですが、このモチーフは『1984』よりも30年近くも前に、別の小説の中に既に存在していました。その小説というのが1920年から1921年にかけて執筆された本書『われら』です。

『われら』と『1984』の世界観は非常に似ています。そしてもストーリーも似ています。オーウェルが『1984』を執筆するにあたり、『われら』を相当意識していたことは明らかなように思えます。しかし、オーウェルは『われら』を参考にしたのかと聞かれ、それを否定したというエピソードがあるそうです。

類似性だけでなく、もちろん差異も多々あります。例えば、『1984』が執筆された当時、ソ連ではスターリン体制が確立されていました。つまり、スターリン体制という批判対象が既に眼前に存在していたのです。ですから、『1984』は基本的に批判のための小説で、その語り口は、批判のための小説が全てそうであるようにヒステリックです。一方、『われら』は、ロシア革命後の比較的早い段階で執筆されたもので、批判的というより予言的、警告的です。

本書は、「単一国」で製造中の宇宙船<インテグラル>の制作担当官D-503の覚え書きというスタイルをとっています。

「単一国」では、「恩人」と呼ばれている指導者の元で、員数成員(国民)は、ほぼ完全に管理された生活を送っている。人々は名前ではなく、番号で呼ばれ、自由は野蛮とされている。国民は全て「時間律法表」に従って、同じ時刻に起床し、同じ時刻に就寝する。そして、同じ時刻に食事を摂り(食べ物を噛む回数まで規定される)、同じ時刻に仕事を始め、同じ時刻に講堂で学習する。それらを守っているかどうかは「守護局」と呼ばれる警察組織によって常に監視されている。

今のところは16時から17時までと、21時から22時までの2時間は「個人時間」であり、(ある程度の)自由が確保されている。しかし、D-503は『遅かれ早かれ、いつかは、これらの時間にも一般的定式を与えることができると信じている。いつかは八六、四00秒すべてが時間律法表にのせられるであろう(P21)』と考える。そう、自由はなければないほどいいのだ。

「自由と犯罪は切り離し難く結びついていて、それはあたかも……そう、あたかも飛行機の運動とその速度の関係のようなものだ。
  飛行機の速度=0
なら、飛行機は動かない。
  人間の自由=0
なら、人間は罪を犯さない。それは明白である。人間を犯罪から救い出す唯一の手段は、人間を自由から救い出してやることである(P54)」

もう一つ特徴的なのは、国民はガラス張りの家に住んでいて、隠し事はできないことだ。セックスするときだけ、ブラインドを下ろすことが許されているが、自由恋愛はなく、というか愛という感情も征服されている。セックスは技術的に管理され、セックス・デー予定表に沿って行われる。

そんな世界で他の人々と積分(インテグレート)された生活に愉悦さえ覚えるD-503。彼には順風満帆な人生が約束されているかに思えた。

しかし、D-503はI-330という女性に会い、とある規律を破ってしまうのだった。規律を破った者は、48時間以内に「守護局」に報告しなければならないのだが、それも怠ってしまう。

なぜか? それはD-503自身も気づいていないが、I-330を愛し、そして魂を持ってしまったからだ。覚え書はD-503の葛藤の叫びとなった。そんなD-503はどこに向かうのか、そしてI-330は何ものなのか、とまあそんな感じで話は進みます。物語よりも世界観がメインを占める作品ですけどね。

本書では、テクノロジーの発展と、理性的な世界を強調する目的で数学用語が使われているため、少し読みづらいところもあるかもしれません。例えば、上述した積分(インテグレート)や√-1などの記号が使われています。√-1は見たこともない人もいるとは思いますが、2乗すると-1になる虚数単位iのことです。

ただし、これらの用語は、数学的に正確な意味で使用されているわけではないので、雰囲気で読み進めてもいいと思います。積分(インテグレート)は統合とかそんな意味合いで使われています。

わたしが他の人々と積分(インテグレート)=統合されて「われら」になる。そんな世界を覗いてみたい方は是非読んでみてください。

関連本
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