私は今日は調子がいいぞー。

毎日最低小一時間でも歩くなりしないとすっきりしないし。

体を動かしてないとだめなんですよ・・私 原始的人間だからね・

一仕事終わったところで、気分転換せねば疲れてしまう。

お堅いことは頭が疲れるから・・100%脳を活性化しないといけないから・・

そうそう・・先日アドボ ( ADOBO ) という魚の煮込みと豚足の煮込みをいただいた。なんかスペインとか沖縄料理っぽいのね。彼女は家庭料理すごくうまいですね。今日は隣のフイリピンの若者カップルの(彼の彼女が本当にかわいいのです)こらと話をききつつ、ちょうどフィリピンの料理をもらったものを食べていたら彼らが偉く反応したので

カップル「あんた なんでフィリピン料理なの??」「あんたフィリピン人?」

私「どう見てもフィリピン人には見えないでしょうに・・。もらったんだよおー・・」と魚を食べる私。

ついでに豚足の煮込みもあったのでコラーゲンたっぷりだったよ。。ありがとう・・

日本では豚の交配も食では盛んだそうですが・・・

アボドはフィリピンの醤油で濃厚な味に煮込んだ料理のことなんだって。

日持ちもよくフィリピンの家庭では常備食だそう。ごめん写真撮ったけれど違う画像のせるね・

だから今日はお肌がすごくコラーゲンの調子でいいらしい・

そうだ飯田橋トラベルカフェ@フィリピン料理カフェへいこう・・@東西線・飯田橋下車。

ここはフィリピン料理のカフェでガラス張りのオシャレなカフェに フィリピン料理ランチ。


ランチは 「豚肉/鶏肉の アドボ」醤油、酢、ニンニクで煮込んだ鶏肉に味がついてるライス、

「チチャロン」(豚の皮)が乗ってます。豚肉のココナツミルク煮込みサンドイッチなどがありましたよ・
やっと食べられました・・デザートと言えばハロハロ。。紫いもとマンゴ混ぜると 美味しいです!




以前代々木公園でフィリピンフェスタっていうのがあったのですがそこで食べられなかったのです・残念 最近思うことは3年目くらいにフランス系の以前スイス系金融のの素敵な南アフリカのエリートサラリーマンにほれてしまっておっかけてたんだけど、金融の関係を全部一手に引き受けていた方が丸の内のセミナーで仕事を財団目的で来ていて、その後、スイス、イギリス、南アフリカ、インド、アメリカ、シンガポール、日本と結局忙しくてそしてなれなかったんだろうな日本のセコセコした人らに。。結局シンガポールで仕事をしています。今は仲良しのお友達ですが、彼のいった未来。約3年目のことが現実になっているようなきがしないでもない。。考えられなかったことが起こっているということですが。・・・


こんな映画知っていますか?video 鑑賞しました

Movie「AMERICAN ADOBO」
 01(02)年:ABS-CBNエンターテインメント

ユニテル・ピクチャーズ/マジック・アドボ・プロダクションズ
監督:ローリス・ギリエン
主演:クリストファー・デ・レオン
    ディーナ・ボネヴィー
    リッキー・ダヴァオ
    チェリー・パイ・ピカチェ
    パオロ・モンタルバン
    ランディー・ベッカー
    キーシャ・シャープ
    グロリア・ロメロ

これはエンタの脚本としてとってくださいね。
フィリピン人が抱く面白イ構想のあくまでも映画です。アメリカ合衆国に対し、世界でもっとも幻想を抱いているのはフィリピン共和国かもしれない。という前提のもとに、ニューヨークで暮らすフィリピン人を描いたこの作品。けっこう地味面白い内容だった。アメリカ合衆国歴史のある文化がなく、物質的文明を文化と勘違いしたという仮定の下に地球環境の著しい悪化を招き、それを今にいたっても直そうとしないのかも?という文化不在の同化ができずに戸惑うアジアの民を庶民の視線で扱った映画だ。

ちょうどゴア氏が環境の映画をつくったからそれと比較してみるとおもしろいかもしれません。

ローリス・ギリエンが面白いし、

一般的にありがちなアメリカン・ライフへのあこがれ。

その裏返しの批判でもなくて、いわばアメリカ人やヨーロッパ人のように善と悪、正と誤、黒と白、

右と左を明白にはっきりするある意味単純という言う観点からとは違った善の中にも悪がひそみ、

悪の中にも善が存在とのあいまいさのLボーダーラインがあって、そこを肯定する考えかたにもとづくため

感銘が起きるという設定の脚本が面白い。

アメリカン・アドボとの題名が示すよう、アドボというフィリピン料理をアメリカふうにアレンジすることで

フィリピン人たちのアメリカ生活の困惑をダブらせる。

それにコメディー・タッチにするとエンタメ的で面白いのだが、

実に映画的発想的でコミカル仕上がってアいます・おもしろい。

ここに出てくるクリストファー・デ・レオン、ディーナ・ボネヴィー、リッキー・ダヴァオ、

チェリー・パイ・ピカチェなどの俳優人。この演じる四名がカレッジ時代の同級生。

パオロ・モンタルバン演じる男を加えて五人でフィリピン人のグループを形成している。

チェリー・パイが料理の名人でアドボをつくってディナーを開くのに始まり、

四回の集まりの間に各人の悩みが盛りこまれてドラマをなす。

クリストファーはスーザン・ヴァルデス・ル・ゴフ演じる妻との気持ちが冷えきっているうえ、

サンディー・アンドロング演じるスーザンのまた従姉妹と引かれ合う状況。

マルタ・ミランとジェーソン・ヴェルダラオ演じる娘と息子をもち、

マルタがボーイ・フレンドとセックスしそうなのが、父親として心配でしょうがない。

自分の常識感覚が通用しないのにいらだち、フィリピンへ帰る決心をする。

ディーナはランディー・ベッカー演じる白人の売れないミュージシャンと住み、

年下のランディーを養うながら、浮気性なのにトラブル多き日々。

リッキーは中年になっても独身でグロリア・ロメロ演じる母などが縁談の紹介にやっきなのに、

本当はゲイで同性の恋人がいてシタ隠しにしている。チェリー・パイは男運が最低でフラれっぱなし。

パオロはプレイ・ボーイで一夜の情事をくり返したすえ、相手の女性の一人から「エイズのポジティブだった。あなたも検査へいったほうがいい」との手紙がきて精気を失う。とにかく好奇心を刺激する要素がでてきます。

まずこのフイリピン料理のアドボの調理過程をみせるタイトル・バックが面白い。

マルタが父のいないスキに外出でジェーソンが「ドラッグをやるんだろう」というのが

アメリカのちょっとお茶目な娘っぽくて面白い(おこらないでね)。

リッキーのホモだちがクリスとの名前だったので「クリスティンか」と聞かれてごまかし、

男女の区別がつかない愛称をたくみに活用。

パオロがトレーシー・アン・ウォルフ演じる白人女性をディナーに連れてきて、トレーシーが「菜食主義者だ」と加わらず、退屈そうに時間をつぶすのが、しかもコートを脱いだらイヴニングから片方のオッパイがポロリとこぼれ、一堂があ然なのに直そうともせず、あわててパオロが隠しに走る羞恥心のなさも、B級的で面白い。パオロがセックスを終えると「テレヴィをみる」と帰り、女たちの激怒を呼ぶのだが、単純にだすだけとのセックスぶりに、欧米人同様のストレートな快楽はたぶんこれは人種に関係なく、個人的に相当にねちっこいものの意見かな?

クリストファーとスーザンがロング・アイランドに家をもち、パーティーを開くとき、スーザンがロルリ・ヴィリアヌエヴァなどが演じる仲間と麻雀をしていたり、ルト・マリやヴァンジ・パスコなどが演じる老人がダンスの練習に夢中で、どこの国に住んでもフィリピン人。

「ベスト・ピクチャーに『フォレスト・ガンプ/一期一会』が選ばれた」といったアメリカ気質をネタにする

議論がリッキーがタガログ語でまくしたてるとディーナが「ゲストがいるんだから、英語でしゃべってよ」と注意する。そこは納得ながら、アメリカ人たちは異国の地でゲストがいたところで英語をとおすだろうなあとおもったり・・。ディーナが「ダイエット中だ」とバーベキューを食べないのはいわゆる肉食人種の傾向で、アメリカ食生活の影響下にあるフィリピン本土にも共通であるようだ。
笑いをとる箇所はソフトな中にも冴えたユーモアに満ち、キーシャ・シャープ演じる

パオロがつき合っている黒人女性とランディーがデートしている現場をみたディーナ。

ムードを醸すエピソードも含み、チェリー・パイがディーナに「まだ処女なのよ」と打ちあけるのが

夜のブルックリン橋の下で、雪がちらついてくる情感がちょっとジーンとくる場面。

かつてアメリカ合衆国映画でウッディー・アレンの『マンハッタン』。

ここで面白いのは人種的で多角的な視点で人間観察を繰り広げるローリスの演出がきめ細かいのが面白いのだ。ドラマの芯をなすのはチェリー・パイの心理。最初の料理において、手伝ってくれているソル・オカ演じる友人。「幸せなの」と聞かれ、つい答えにつまる様子。

ブルックリン橋ではディーナからも自戒をこめた「幸せなの」の質問をうける。

オカが「人生最大の失敗は結婚したこと」なんて皮肉を口にするながら、物質的にはフィリピンよりはるかにめぐまれたアメリカ合衆国にあって、幸福を考えるテーマのようにうかがえる。

スパイスに具が合わさって極上のアドボができあがり「マジック」とソルがいうのが、

裏に隠された訴えかけ。ヴィンセント・R・ネブリダの脚本は、人生にもマジックがあると主張しているように思えてくる。

大きなクライマックスはチェリー・パイが失恋の電話でオーブンに火がついているのを忘れ、

火事の未遂を起こすシーン。先にやはりフラれた電話で衝動的に窓の外へものを投げ、たまたま歩いていたジェームズ・バーンズ演じる男に当たり、二階から謝る伏線が引かれている。煙の中から助けだしてくれた消防士がジェームズで「あなたなの」と問いかけ、ジェームズのほうも「オレだよ」と覚えている。どこか“塞翁が馬”のような話で、いわば一種のマジック。チェリー・パイがジェームズと結婚してマジック・アドボというレストランを開き、そこへ仲間が集まるラストにおいて、全員のエピローグが紹介される。ウェイン・モーガンズ演じる同性の恋人が病気で瀕死に追いこまれ、三度目の集まりでリッキーがついに「ゲイだ」と告白。その勇気にきっかけをえたパオロがエイズの検査をうける。クリストファーはマニラでサンディーの訪問によって、体裁にこだわっていた心を正直に解き放つ。マルタが子どもを生んで、おじいちゃんのクリスファーはいたって満足気。リッキーとディーナがその子の名づけ親になり、また新しい現実へこぎだしていく。パオロが改心でニコル・ムーア演じる白人女性と結婚、といったハッピー・エンドとそこそこの終わりかたの折衷の中、チェリー・パイがソルにあてた「いま私はとっても幸せです」とのナレーションがしめる。なんというか、具体的な言葉にならない幸福という概念を画面からにじみでるように感性へしみこませてきて、映像のマジックが包みこむ。 けっこう賞賛にあたいする説得力。
 ローリスの仕事ぶりに惜しまず拍手を送りたい。 役者陣はクリストファー、リッキー、ともに名優らしい渋みが味わい深いし、ディーナ、チェリー・パイの心を解剖するような表現がみごと。チェリー・パイは肥満すぎるとはいえ、二人とも美人だから容貌をみているだけでなごんでくる。とくにディーナはランディーの音楽にのって踊るとき、パンツ・ルックに浮かぶプロポーションがうっとりするほどステキ。ロング・アイランドのクリストファー宅のプール・サイドでは黒いワンピース水着になり、パレオを巻いているのがちょっとイマイチかなと落胆していると、ランディーをけしかける車内では、シートに座ったポーズでパレオをほどき、ややハイレグの股間がそそるじゃないか。もう熟女に入っているのに、ディーナの色気はタダモノじゃない。 ナイス・ボディーだとキーシャが勝って、プール・サイドを歩いたり、ランディーとこっそりベッドでイチャつく際のビキニが極小なので、いまにも具がはみだしそう。乳首が丸みえはトレーシーのほか、パオロの回想でシャワーをかけながら抱き合うスーザン・ミッチェル、アマンダ・バーマン、エリザベス・ヴァレリオ演じる白人の女たち。ただし個人的に黒人や白人だと下半身が元気にならず、さっぱり興奮が皆無。自分は人種差別主義者だといえる。かつては白人女性とエッチしたのだが…
マルタもクリストファーにみつかるボーイ・フレンドとのペッティングでビキニのブラがはずれそうになるも、好みのタイプの外なのが残念。正直、全裸でシャワーを浴びるランディーをのぞくあとなど、ディーナに際どい露出がほしかったところ。それでもディーナの魅力が映画に輝きをプラスしたようだ。
なおヴィスタ・サイズなのは、アメリカ合衆国での公開に合わせたのだろうか。
※ この作品は『アメリカン・アドボ』の題名で“アジアフォーカス・福岡映画祭2003”にて上映されています。