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2021/05/25 回顧録 オタク篇

アイラブユーを月が綺麗ですねと訳したのは夏目漱石だったか。

そんなふうに直接的でなく、自分の気持ちを表現できたらと思う。


でもわたしは作家ではないし、

亡くなって四か月も経つ母に、未だどんな言葉をかければいいのかわからない、

ちっぽけなひとりの娘だ。



母が亡くなったあと、もっとも私を苦しめたのは

if(もしも)」の想いだった。

人間の感情で一番辛いのは

悲しみ、寂しさではなく、後悔だと知った。

後悔が癒されることはない。後悔に日にち薬は効かない。


悲しみで人って死ねるんだと知った。



こういう時こそ大好きなマンガやアニメで癒されようとするも、

「鬼を滅する」だの「呪いを祓う」だの...

嗚呼、休まらない。


それでもFacebookくらいには一報出しておこうかと思い、

訃報の知らせと共にふと浮かんだ言葉は、やっぱり大好きなマンガだった。



「どうでもいいの。全部どうでもいい」

(栗花落カナヲ@鬼滅の刃)



ほんとにそんな感じだった。

急に母を失い手足をもがれたようになった私は、

泣きながら帰るにはあまりに短い、駅から徒歩2分の家まで、

それでも毎日泣きながら歩いた。


決してわざとじゃないんだけれど、明るく振る舞えなかった。

もう無理して明るいバカになる必要もない、

なんなら病が再発したってどうだっていい。 



江戸川乱歩で言おうか。


「多分それは一種の鬱状態であったのでしょう。

LINEも、メールもーーーーいっこうこの心を軽くしてはくれないのでした」


太宰治でも言えるな。


「いつ苦しみが終わるのか分からない。

ただ、一さいは過ぎて行きます」



そんな日々だった。



でも、よくしたもので、

わたしが今まで時間やお金を投下して貢いできたアニメや本の言葉が、

虚っていた私の目や耳にそろそろと入り込んでくるようになった。


例えばこんなふうに。


「自分を憐れむな。自分を憐れめば、人生は終わりなき悪夢だ」


.......

そうかもしれない。


自分の首をグイグイ締め上げていたのは悲しみ後悔と思ってばかりいたけれど、

自分自身への憐れみだったのかな。


ちなみにこのセリフを言ったのは、

或るアニメの中のキャラクターの太宰治だ。

実在の太宰がこう言ったという記録はない。


だから、正真正銘、わたしは二次元の人に救われ、暗夜に光を見出したことになる。



そんなこともあるんだな。

あるんですよ。



まだ時折り、胸が締め付けられる時もある。

明日死ぬと分かっていたなら。

それが分かれば万人が優しくなれるだろう。

そしてそれが分からず悔いを残した娘は、

父と合わせて二人分、

死ぬまでこの重石を背負っていくのだ。



(この項おわり)


厳しかった母とわたし





風が立ち、浪が騒ぎ、無限のまへに腕を振る。

もう永遠に帰らないことを思つて酷白な嘆息するのも幾たびであらう


盲目の秋ー中原中也


私と彼女の生きる道

少し前の話。

大切な友人が21年間頑張ってきた勝沼のカフェがクローズした。

ラスト二週間、賑やかに送りたいとみんなで花を送った。


フロアのど真ん中にどーん
1.5メートル高のまるでオブジェ



実の父親に「娘の好きなとこは顔」
って言われる(ヲィ)ほど華やかな美女なのに
お客様の前に出るより料理をするほうが好きだった友人。

「今シーズンいつ行く?」が合言葉だった私たちの大事な居場所。

アミューズで出逢い30年近い付き合いなのに、
一週間泊まり込みで手伝ったこともあるのに、
決して特別扱いしてもらえなかった笑
彼女の揺るがないポリシーに拍手👏


もう決して大きな変化が起きないであろう年代にあって
友人の大いなる決断はとてつもない刺激になる

「わーこの歳で転職しちゃった!」なんて
チャラチャラしてたけど、
ほんとにそれで良いのかな?
もしあと一年で人生終わることになったら、
それでもこの生活なのかな?
人間関係、整理整頓しなくていいのかな?
色々手を出しすぎて疲れ切ってるなら、やめればいいもの、ないかな?

って思った。

だからといって急に今日、リンゴの樹は植えないけどさ。
月曜になれば会社に行くけどさ。


でもね。

自分の強みは、変化に物おじしないこと。
今までもなんとかなってきたこと。
それを思い出した。


ラストデイ
2020年10月31日
みんな集まれて見届けられて良かった。

彼女のこれからの人生にエールを送りつつ
また彼女がソースパンをふるう場所が見つかることを祈る。







photo by Yasuhiko Endo

#カーサダノーマ
#原茂ワイン
#勝沼
#エール
#女友達最高
#控えめに言って最高





SNSで発信するということ

Facebookに旅行や美味しい食事の画像をアップする。

Twitterに日々の愚痴やアホな発言(自分の場合)を投稿する。

それが自己顕示なのか、ただの記録なのかは人によるんだろうなあ。

そう思うといまこの瞬間、ブログを書いてることが自分アピールに思えて、ものごっつ恥ずかしくなってきたやんけワレー

照れ隠しに関西弁を使うのもかなりの恥ずかしさだと、この時のモトキは気がつかなかったのであった!(次週に続く。次週拡大版90分放送)


ブログというのは、文字数が限られないため、だらだらと書き綴ることが多い。

自分の場合、何か書きたいと思い立つときは大体「反省」が絡んでいる。ような気がする。


今回もまた、ひとつの業務が完了し、大いなる反省の気持ちを持って眠りについた結果、

鳥の声で目覚めた清々しい朝に、ふっとブログを書こうと思った。


またまた嘘をつきました。

本当は市役所の「市内で振り込み詐欺が発生しました」の無線スピーカーで起こされました。チッ。

詐欺に騙されるな老人よ!



でも目覚めてすぐブログを書こうと思ったのは本当。


そしていつもの反省猿と違うのは、


その前にちょっといい?だいたいなんで反省というと「猿」なん?

あの猿回し(この呼び名もすごいよね)が開発した「反省!」をやらされてたタロとかジロとかいう猿のイメージか、

いやタロジロは南極物語か、

南極物語には薬師丸ひろ子出てなかったよなあ。



もとい。



ただ、いつもの反省と違うのは、

「うまくできなかった悔しさの感情は、

自分ならもっと出来る!の思い上がりによるものだ」

と実感したということ。


あれちょっと待って過去にも同じこと書いたよね?

はずかしー。ネタの使い回し。そして成長してなさ具合。

過去記事検索しないでね!(しないわ)



まあいいや。

今回やっと、自然にその境地に至った気がするのだから。


それと、手に余ることは人に任せるべし!

ということかな。


え?やっとそこ?と思ったキミ!

それが私には難しかったのだよ。ワトソンくん。

(だよ、っていうとワトソンくん、ってつけたくなるの何歳まで?)


わー大変大変って言いながら人に任せられないのは決して褒められることではなく、

ぜーんぶ自分のやりたいようにしたいだけなんですよね。結局。自分の場合ね。



思えば数年前に

「自分でなんでもやろうと思わないこと」と、親愛なる友人であり、人に寄り添った優しい占い師であるGraceにちゃんと言われてたのにね。



気づいた時には体の衰えが...マジ現場の翌日は日向ぼっこのアザラシ状態だわ。



そんなこんなで。

どうしようオチがない。

オチのないブログを書くのは自分的に許せない。


えっと、

まああれですね、

Facebookというのはつくづく良く出来てますよね。(マクラから始まっちゃったよ)

自分もなーんか、投稿しちゃうもん。

でもってブログを書いたら同時投稿して...


ああ何かSNSの全てが気恥ずかしくなってきた。


でも「使い分け」よね。


Twitterは瞬間的なつぶやき、

Facebookは友達との感動や情報の共有、

Instagramは画像を使った記録や情報の発信、


そして私にとってブログは

母の介護のことも書くけど、

やっぱりアホなことを書いている自分が好きだ。



そして最後に言う。

「振り込め詐欺」には気をつけて!


アデュー




おもいでメガネと内ちんの思い出



音楽業界にいた時の同僚が本を出版した。

彼が介護職についていたことを初めて知った。

彼が音楽事務所に中途採用で入ってきた時、前職はオフィスコーヒー営業のトップセールスマンだったと聞いた。

今よりもっと傍若無人な物言いだった私は
なんで辞めたの?もったいなーい!
とズケズケ言ったが、
確か「違う業界に飛び込みたかった」と聞いた記憶がある。

見た目派手で遊び人に見えた彼は、
職場の内外でよくチャラさをいじられていたが、
そんなイジリも、また仕事上でのことでも、
彼が声を上げて怒ったのを見た記憶はなかった。
おそらく怒りポイントに触れた時でも、
逆に大きな口を開けて笑ってやり過ごしていた。
と思う。

そんな彼とFBでつながり、
国家資格をとってグループホームで働いているのを知った時、
「違う世界に飛び込みたい」という情熱は変わっていないのだな、と思った。


「おもいでメガネ」
絵本のようなファンタジーのような実話にもとづくエッセイ。

認知症の母の介助(最近介護と言わないようにしてる。だって介護までいってないもの!)に
日々悩み右往左往しているわたしには
この本の優しさが「大丈夫」と言ってくれている気がした。

そう、
いつも誰かに
「大丈夫」と言って欲しい。
それが介護する家族の願いのひとつだと思う。

父が亡くなった時、家に引き取る直前まで数ヶ月施設に入れたことが、
わたしの今生の人生での最大の後悔となった。

だから母には、存分なことをしたい。
それでも日々悩み、時に近くの老人ホームを検索する自分もいる。


正解はない。子供はいつも親のためを考えてる。
だけど、感情を支える「知識」は大切だ。


「おもいでメガネ」は医学書ではない。
でも、介助者の視点を変えてくれる、包み込んでくれる優しさに溢れている。


彼の優しさが、介護者の光になりますように。


「おもいでメガネ」
ないとうともあき


自己憐憫

うるせえ!神様なんてク○っくらえだ!
と毒づいたら天罰が下るんだろうか?

右の頬を打たれたら左の頬を出せば永遠の安息が得られるんだろうか?

君はどれだけ自分が正しいと思って人を裁くのサ?
という台詞を言わせたのは三原順だった。

思えば彼女(か彼か忘れた)は登場人物にひどい台詞ばかり言わせていた。
その果てが自死になったんだけれど。

神よ、自由に死ぬる人生を我に与えたまえ。
アホか。その人生は神が与えるのではなく、法律が決めるんだ。

それが不満なら二次元の世界に閉じこもってろ。


こんな自分が
こんな自分に
なりたかったんじゃない。


ただ、
母が穏やかで
姉が笑って
そんな生活がしたいだけ。

いつか。

「いつか」なんて来やしない。
それも三原順の台詞だった。

それでも「サムデイ」を歌う。
今日も

歌う。

そして

母よりも
姉よりも

1日でも長く生きる。


それが呪縛。
それが父のかけた魔法。




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