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ザ・タイガース



タンバリン奏者のトップ10の詳細は残念ながら覚えてません。なにぶん昔のことですからね。ただ、ロックのタンバリン時代が1966年~67年ぐらいの短い期間だったことは想像がつきます。

堺マチャアキさんが堂々の世界第2位だったってことは、このランキングが編集されたのはグループサウンズ・ブームの絶頂期だったはずだからです。

怒濤のグループサウンズ・ブームが巻き起こるのは1966年の下半期です。1966年夏のビートルズ武道館降臨。これは日本の歌の世界に決定的な影響を与えた。言ってみれば隕石が衝突したようなもんです。

この衝撃で戦後の歌謡曲は演歌とJポップという2つのシーンに分裂する 。もはや埋まることのない亀裂だ。

武道館の観客席にはタイガースの沢田研二もテンプターズのショーケンもいた。ブルージーンズのメンバーだった加瀬邦彦さんもいた。ブルー ジーンズは前座で舞台に立ったんですが、加瀬さんはビートルズの演奏 を客席でナマで見たいからという理由で直前にブルージーンズを脱退したんだそうです。これはNHKの衛星放送で言ってました。

その後のグループサウンズ・ブームの立役者はみんな客席にいた。タイガースは当時は大阪のナンバ一番とかいうジャズ喫茶で相当の人気だっ た。そのころのバンド名はファニーズといったらしいんですが、上京し て東京のキー局のテレビ番組に出る直前、関西の出身だからというオオザッパな理由でザ・ タイガースに変えられた。名付け親はドラゴンクエストで有名なすぎやまこういちさんです。

当時、ワタシはよく池袋の文芸座に映画を見に通った。2本で200円でした。地球座にもよく行った。こちらは3本立ての日もあったと記憶する 。

ある日、池袋駅を出るとジャズ喫茶ドラムがあるビルの周りをオンナの コたちが取り巻いている。文字通り、黒山の人だかりです。今ですとサンシャインビルに向かって歩いて量販店のビックカメラがあるあたりですね。ナンダロ、と思って道路をわたって見に行ったらタイガースが出演する日だった。このあとタイガースは天高く舞い上がる。

このタイガースがテレビに登場した最初の頃は、よくバンドのテーマソ ングとしてザ・モンキーズのテーマを歌ってましたね。ヘヘイなんとか モンキース、という出だしの歌詞をタイガースに変えていた。

グループサウンズ・ブームは厳密に言うと1966年の下半期に始まり1968年の上半期に終わる。あしかけ3年ですが、真にブームと言える期間は1 年半ぐらい。このブームは言わば扼殺される。葬られた。

この話はまた別のシリーズで書きます。ここにももちろん寺内タケシ兄貴は登場します。残念なことに脇役ですが。

ところで、1966年はロックにとって重要な年だったと前に書きましたが 、LSDが非合法化されたのも1966年です。この話は最後に付録としてチ ョコッと書くつもりです。チョコの日も近いですしね。