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シャープ・ホークス


グループサウンズ・ブームが最高潮に達したのは1967年。この年はグループサウンズに明けてグループサウンズに暮れた。どのチャンネルを回してもエレキ・エレキ・エレキです。きりさんだけじゃなくてみんな痺れていた。

NHKの衛星放送で時々当時のグループが集まりますが、面白いエピソードが出てくる。

当時はなにしろみんな若い。人気も絶頂でハイになってます。それに眠るヒマもないくらい忙しいからみんな気がタッテル。テレビ局の楽屋にグループサウンズが集まると、やれ目があった、やれ肩が触れたぐらいのことでケンカが始まる。

最大の武闘派はシャープ・ホークスだったそうです。なにしろ名前からしてスゴイ。メンバーの中にはマフィアの後裔を自称する安岡力也さんがいましたからね。そりゃぁコワカッタそうです。だからシャープ・ホークスだけ別の楽屋で、本番が始まるまで外から鍵をかけられてたそうです。ライオンと同じ扱いだ。

当時の安岡力也さんはスリムでカッコよかったですよ。ツイストなんか踊る姿。若いヒトに見せたいくらいですが、なにしろ当時の映像がない。“遠い渚”というバラード調のヒット曲も出していて、彼がサビの部分のソロをとってました。これもYouTubeを探しましたがありません。

当時を評してワタシはよく映像氷河期というコトバを使います。とにかく映像がない。ビデオが登場するのは1970年前後。一般化するのは1980年以降です。ワタシは70年代末あたりからビデオの活動をやる仲間に入って、当時の和製ロックバンド、現代舞踏、モダンアートなんかの日本最古のビデオ映像をたくさん撮ってます。このあたりの話はまたいつか。

ビデオがありませんから、当時のテレビ番組はすべて生(なま)です。ゴム無しです。だから終わるのがハヤイ。あれ? 話が別の方向に行ってしまった。元へ。

1967年のある日のことです。小説やテツガク書や映画でムダな時間ばかり過ごしていた当時のワタシは、夜はせめて充実した時間を過ごそうとテレビの前に座った。

あっ皆さん。充実というコトバ。これは水森亜土さん風にジュージチュと読んでくださいね。お願いします。亜土さんを知らない方はそのまま通りすぎてください。

テレビには寺内タケシさんが出ていた。当時は寺内タケシとバニーズです。

司会者が、『曲はレッツゴー運命』と叫んで画面から消え、演奏が始まった。その約30秒後。日本中を震撼させる大事件が起こった。