梅花粧
宋の武帝の娘、寿陽公主が人日(じんじつ)に
含章殿の軒下でうたた寝をしていると、
庭の梅の花が公主の額に落ちてきて五弁の花びらを開き、
そのまま拭い去ることができなかった。
母の皇后はこれを奇なることとしてそのままにさせていたが、
三日後、額を洗うとようやく花びらは落ちた。
これを見ていた宮女たちの間で
額に梅の花びらを描く化粧が流行るようになった。
この宋は平清盛と貿易した10世紀の宋ではなく、
5世紀の南北朝時代の宋。
倭王讃が朝献し、
武帝から安東将軍倭国王の印綬を受けたことが宋書倭国伝に見える。
いわゆる倭の五王の時代。
人日-正月7日。五節句の最初の日。
この日に七種の若菜を羹(あつもの=熱く煮た吸い物)にして食べると年中無病でいられるという。