過激な排外主義や外国人差別的なことをインターネットで言う人を、ネット右翼、略してネトウヨとインターネットで言われている。


概してインターネットでは嫌われており、空気を読めないもの、所かまわず中国・韓国に対して過激な主張を繰り返したりする我がままな人物と認識されている。

(最近ではリアルで行動するネトウヨもおり、”ネット右翼”と言っていいか分からないところがある。)



さて、そういうインターネットで空気を読めない言動、行動をしていれば嫌われていくのは当然であるので、インターネット界隈ではよくネトウヨに対して批判などをされる。


その時ネトウヨ批判の時に書かれる、ネトウヨと言う単語によく付く言葉が


”ネトウヨニート” ”ネトウヨひきこもり” ”ネトウヨ低学歴” ”ネトウヨ無職者” ”ネトウヨ精神障害者” ”ネトウヨフリーター” などなど・・・


なぜか排外主義や外国人差別とは関係がない、日本国内の社会的弱者を指す単語がネトウヨと言う言葉に付く。

これはどういうことか?


それはインターネットで右翼的言動を取るものの多くは、現代日本社会から社会的排除をされた者たちであり、彼らが承認欲求を得るべくインターネットで右翼的言動を取る、とネトウヨを批判しているものは言う。




しかしネトウヨ批判をしているもの(仮にアンチネトウヨと呼ぼう)、アンチネトウヨからはそういう”現代日本社会から社会的排除をされた者たち”をどうやって救済するかは何も聞こえてこない。

ただひたすらネトウヨに対して批判をし、ネトウヨがなぜ生まれたのかの原因を考えなければ、何も解決策も言わない。いや、解決策を言わないばかりかネトウヨを排除・差別すらしている。
そしてその排除・差別の過激さは、自分たちアンチネトウヨが最も嫌悪し、侮蔑するネトウヨと同じである。
皮肉にも自分たちが嫌うネトウヨと同じ言動、活動をしているのである。

彼らアンチネトウヨの言動や行動からは、現代日本社会の社会的弱者たちに対する嫌悪、侮蔑、軽蔑、嘲笑の念がネトウヨ批判を通じて伝わってくる。



ネトウヨは中国・韓国、在日本朝鮮人を始めとする外国や外国人に対して過激な排外主義を言う。
アンチネトウヨはネトウヨ批判を被せながら、ニート・ひきこもり・無職者・低学歴・精神障害者に対して過激な差別主義を言う。

ネトウヨとアンチネトウヨは同じ差別主義者であると言わざるを得ない・・・いや、もしかしたらアンチネトウヨの方がもっと過激かもしれない。



なぜならネトウヨにも過激だが一理はあるからだ。
(念のために言っておくが、自分は外国人差別や過激な排外主義は否定するし、そういう主張は賛成しない。)

中国・韓国が行ってきた暴虐さは言うまでもないし、在日本朝鮮人の方も問題があると言わざるを得ない。それに彼らは何はともあれ日本と言う国に対して憂いている。

彼らネトウヨは、外国や外国人などが関係がない現代日本社会には目を向けようとしないが、しかし国を憂う程のパワーがあるなら、そのパワーを全部ではないにしろ向けさえすれば良いからでもある。


しかしアンチネトウヨには何もない。あるのは空虚なニヒリズムばかりである。

その空虚なニヒリズムに突き動かされてただひたすらネトウヨの発生原因も考えず、言い分も聞かず否定するばかりであり、そして自分の中にある現代日本社会の社会的弱者たちに対する嫌悪や侮蔑の念をネトウヨ批判に乗せてぶつけてくると言う姑息で卑劣な手を使ってくる。

これではネトウヨより更に過激な差別主義者である。


果たしてアンチネトウヨはこれからどうするのか? これからもひたすらネトウヨ批判をするのであろうか?
現代日本社会の社会的弱者たちに対して、サヨクではなく自分たちが動いて現代日本社会を変えないとネトウヨは消えないと言う事実には気づくのだろうか?

そしてそれは日本国民が日本国民を救うと言う事である、と言うことであるのは気づくのだろうか?

・・・心配である。