何処?神鉄「鈴蘭ダンスホール前」駅 | Gonbeのブログ

何処?神鉄「鈴蘭ダンスホール前」駅

Gonbeのブログ-鈴蘭台西口
 大正元年生まれの父、私たち子供の前でタップダンスを踊って見せた。パン職人だった父は、当時としてはハイカラなタイプでだった。父いわく、神戸の新開地でよく遊び、鈴蘭台のダンスホールに通って、ダンスを習ったという。

  どういう縁か、私は今この鈴蘭台に住んでいる。この一帯は新しく開けた住宅街だが、昔は少し様子が違っていたらしい。『駅名から日本地図を旅する本』にこんな項目がある。


 今の神戸電鉄粟生線の「鈴蘭台西口」は、昭和12年頃「鈴蘭ダンスホール前」という名前でスタートした。周辺を見回しても当時の華やかさをしのばせるような面影は全くないが・・。その後太平洋戦争が始まって遊興自粛ムードが高まり、もってのほかということで改名を余儀なくされた。この地域の地名が小部だったことから、昭和17年に「小部西口」に変更され、さらに昭和37年にいまの「鈴蘭台西口」になったそうだ。


 当時を知る人によると、新たに「西鈴蘭台」駅をつくるに際して、眼と鼻の先の西口駅は廃止されることになっていたが、地元の反対で存続されたそうだ。この古老、神戸電鉄の古い沿線紀行の書籍を引っ張り出して調べてくれたが、ダンスホールについての記述は全く見当たらなかった

 私は“モダンボーイでにぎわった”という鈴蘭台を亡き父の姿と重ねようとするが、高齢化の渦に飲み込まれた今の町の姿からは、残念ながらイメージすることはできない。