082 チュートン騎士団 | Κύριε ἐλέησον -Die Weltgeschichte-

Κύριε ἐλέησον -Die Weltgeschichte-

西洋音楽史&国家形成史物語のページへようこそ!

082
[チュートン騎士団]

荒地の深い森へ
    :作曲者不詳
Triplum:                   Duplum:
ある日、閑暇に誘われる侭          豊かな雨と、清らかな泉に恵まれ
荒地の深い森に歩み入り           春には草木が花開く庭。
物思いに耽りながら             木陰に香草は芳香をを放ち、
小川のせせらぎに耳を傾けていると      快い佇まいで閑暇を求める者を喜ばす。
睡魔が私に襲い掛かった。          遥か天空へとのびた塔に囲まれて彼は立つ。
すると見てみよ、名高い王子が現れた。    多彩な景観を着飾るが如くに孔雀は育つ。
頭は炎のような髪で覆われ          肥沃なこの土地は豊かな実りを生み出し、
数多の金と宝石を身に纏い、         太陽が沈む頃、奥まった場所は心地良い。
凛々しい出で立ちだった。          おお!牛を世話する農夫のなんと素晴しい姿!
彼を大勢の兵士達が取り囲み、        目の惑いなのか!ものみな母が角でこの庭を守っている。
さらに劣らぬ数の小姓が取り囲んでいた。   不注意に入り込まぬよう、人はしかるべく用心する。
何一つ欠けた所のない人達だった。      母牛よ、あなたの角に傷つけられたのだから
この者達は、皆その名高い者を        羨んでこの庭から果実を盗もうとする者は皆
恭しくいっそうに増して宝の山で飾り立てた。 この庭の農夫に捕まらぬよう注意せよ。
どれ程多くの者がこれを見て妬んでいることか。
しかし、どれ程多くの民衆が        
歓呼しつつ驚嘆していることか          Tenor:
宝物はこれからも増していくのだから(省略)   汝の御名は讃えられるべし 

    モテットは基本的にはTriplum、Duplum、Tenorの三声で構成されます。
    この三つの詩が、同時に歌われるのです。
    Tenorのみラテン語。上声部はフランス語。
    言葉の違う両者、その声を聞き分け、
    互いの意味を理解する事はない……――――――

―――1340年、厳冬は続く………。

沿岸都市でも吹雪く事がしばしばで、天を覆う火山灰でも大地の気温を低下させていました。

ヴィンランドやアイスランドではもう生活は殆ど不可能。
ヴァイキング達の町は次々と死に絶えていきました。

  作物が育たない。

餓死者は急増していました。
それは何も北国だけの出来事ではありません。
フランスやイベリア半島でも厳しい冬が続いています。

貧しい町へは作物は殆ど行き渡らず、路頭に死者の数は増えていく。
死体は腐り、小動物を介して疫病は拡がっていく。

それでもまだ、暗黒時代は本格的に始まった訳ではありませんでした――――………‥‥・・

―――……‥‥・・・‥‥……――――

―――パリ。
   王宮に集められた子供達。

  彼は、知ってしまった。

   「母さんが?」

     「みんな噂してるぜ?」
      「女が王に慣れないなんて法律は、昔っからあった訳じゃないんだってよ!!」
     「お前の母親が不義の子だったから、そんな法律をわざわざ付け加えたって!」

   「どういう事だよ!
    じゃあ、僕の母さんは、本当はこの国の王になるべき人だった??
    今の陛下はその権利を奪ったっていう事なの????」

彼の母、ナバラ女王フアナはナバラ王国本領の他、
ポントワーズやボーモン・シュール・ワーズなどフランス国内に細かい土地を幾つか有していました。
実はこの幾つかの領土は、フアナの王位請求権及びシャンパーニュ領と引き換えに得ていた土地だったのです。

その夫でありナバラの共同統治者であるフェリペ3世の本来の所領は、
エヴルー伯爵領や、ノルマンディー領内のコタンタン半島の一部。
フェリペ3世は、フランス国王の臣下として軍を率いて来ており、この冬の間はまだパリに住んでいました。

   「父さん!!本当なの??
    母さんが本当は国王だというのは!!」

「シャルル!!馬鹿な事を言うんで無い!!」

フェリペ3世はシャルルを引っ叩きました。

「お前はまだ子供なんだからそんな事は気にしちゃいかんのだ!
 私はナバラ王国の共同統治者であるが、
 エヴルーやコタンタン半島の領主としてはフランス国王の臣下。
 フィリップ6世陛下の封建臣下であるんだ!
 お前はその土地を受け継ぐ存在だ。
 それは変わる事は無い!
 分かったな!
 お前は父親である私を見習い、
 フィリップ6世陛下に、
 そして後に国王となるノルマンディー公ジャン様に忠誠を誓っていればいい。」

   「納得いかない……。
    母さんの権利は?!
    なんで母さんは王位を…」

「黙れ!!
 これ以上その事を口にしたら赦さん!
 陛下に対する反逆を叫ぶ事は子供であっても罪深き事だ!」

    ………―――なぜ!?
       なぜなの????
       父さんはそれでいいの???
       母さんはフランス国王になるべき人だったのに!

       くっそ、なんなんだよ!!
       ナバラに戻ったら母さんに聞いてやる…!
       だっておかしいじゃないか!!
       僕の両親がフランス王位を放棄したが為に、
       “僕に受け継がれる筈だった王位”まで勝手に放棄したって事じゃないか!!!
       そんな事を許せる訳無いじゃないか!!
       絶対大きくなったら、僕の権利を取り戻してやる……!

エヴルー伯の後継且つ、ナバラ王の後継であるシャルル・デヴルー(1332-,8歳)。
イベロ・ロマンス語ではカルロス・デ・エヴリュー……。
彼は、子供ながら既にその理不尽さに不満で不満でなりませんでした――――……‥‥・・・

 ‥‥‥‥シャルル君……。
   反抗期か?
   馬鹿な事は考えないで欲しいものだな……。

ギョーム・ド・マショーは、複雑な思いで子供達を見ていました。

 パリに集められていた貴族の子供たちは、マショーやヴィトリの教育を施されていました。
イル・ド・フランスやピカルディーの子供たちは、彼らによって教会に関する事や、
数学、幾何学、天文学、音楽などの基本教育、自由7科を学びました。
国内の有力貴族であるブルゴーニュ公ウード4世も強力なパトロンで、その教育を補佐しました。

音楽技法は発達する。
複雑化するモテットは、音楽の頂点に達していました。

しかし芸術文化が進化していく一方で、貧民の困窮は加速していました―――……‥‥

‥……―――去る1340年9月25日。

フランス王国とイングランド王国は約2年間の休戦を結びました。
この休戦は、フランスに充分な軍備の期間を与えた事に他なりません。

さらに加えて、親仏派の各国の勢いも増していました。

スコットランド王デイヴィッド2世やボヘミア王ヨハン。

フランス軍が表立って軍務が行なえないが為、フィリップ6世はこれらの国に対し軍事支援を行ない、
デイヴィッド2世のブルース派にはブリテン島を北からイングランドを攻め込ませており、
ヨハンは己の野望の為にも、ヴィッテルスバッハ家への攻撃を盛んに行なっていたのです。

 ―――……‥‥・・‥‥……―――

‥‥……―――1340年、バイエルン―――。

   ドイツ南部の大半を占めるこの土地を治めるのは、ヴィッテルスバッハ家。

現在その当主は神聖ローマ皇帝位に戴冠した、ルートヴィヒ4世(1282-,58歳)。
当然既に皺だらけの顔ではありましたが、眼はしっかりと見開き、対抗勢力に対する軍の増強を図っていました―――。

  ―――バイエルン首都ミュンヒェン。

市内にはその名の通り僧院が沢山立ち並んでいました。
人々が集まる所では、噂話は尽きません。

   「ついに皇帝陛下には破門が宣旨されてしまった……。」
    「教会の職務が停止されてしまったら、私らはどうやって生活すれば……!」
   「もともとバイエルンはイングランドと同盟して、親英の態度を取って来た。」
      「それなのに、イングランド不利と見るや、フランスとイングランドの中立を宣言するなんて…!」
    「ブランデンブルクなどの北の大国はこれに反感を持った。」
   「そこだけじゃぁ無い。諸国からの信用を悉く失いつつあるよ。」
      「ルクセンブルク家がますます勢いを付けて来ているらしい。」
     「ボヘミアの盲目王ヨハンか……、もともとルクセンブルク家は味方だった。
      それなのに、約束を破って彼に対しての報酬である称号を与えなかった為に、敵対してしまった。
      まったく馬鹿な話だよ。」
     「ヨハンにはフランスばかりか、ピエール・ロジェも付いている。強敵だな。」
    「教皇庁は、55歳の教皇ベネディクトゥス12世よりも彼の方が力を持ち始めている。だからこんな事になるんだ。」

   「違うよ、そもそも2年前の『フランクフルト会議』の皇帝陛下の発言が良く無かった―――。」

    ―――2年前の発言かぁ…………

・・‥‥……―――2年前――――――……‥‥・・

   1338年、フランクフルト、帝国議会。
   ルートヴィヒ4世は宣言しました。

  「伝統的に皇帝位とは、ローマで戴冠を受ける事によって正式に得る事が出来る位であった。
   この私もハプスブルク家とミュードルフで戦い、これに勝利した為、
   1328年にローマへ赴き、この王冠を乗せて貰ったのだ。」

そう言って自分の頭の上を指差しました。
  そこには光り輝く王冠。
しかし、この王冠は教皇によって与えられた物ではありませんでした。

  「だが……、皇帝位は、ドイツ王位とローマ王位を有す者と決まっている。
   その王位は、法的な定めは無いが、七人の選帝侯による選挙で決定する。
   選帝侯には教会の上位であるケルン大司教、トリーア大司教、そして教皇を除くと最高位であるマインツ大司教を含む。
   これだけの人間に選ばれしドイツ・ローマ王であれば、
   その時点で既にローマ皇帝となるだけの徳と権力がある事を意味している事になる!
   ならばわざわざドイツ王がローマへ赴き、アヴィニョンから教皇を呼び寄せて戴冠の儀を行なう必要はないと判断する。」

ドイツ王位は確かに、教会のトップクラスの人間による多数決で決定します。
ところが、その決定には教皇の承認を必要としません。
ドイツ王は、最終的にローマで教皇の承認を得る事によって皇帝の王冠を手にする事が出来る。
しかしルートヴィヒ4世はその最終段階を不必要だと宣言したのです。

この宣言に、当然教皇ベネディクトゥス12世は怒りました。
それからです。
ヴィッテルスバッハ家と教皇の対立が深くなったのは……。

否、そもそも、アヴィニョン教皇庁のフランス人の教皇を、彼は認めていなかった事が挙げられます。

    先の宣言に内包する意味は、
       ………ドイツ・ローマの頂点ともある皇帝が、
          フランスの傀儡のような教皇に戴冠してもらわないといけないだと?!
          馬鹿げた事いうな!!
          皇帝はフランスの飼い犬では無いわ!!………
    という、ドイツ諸侯の権威回復を狙ったものでもあります。

 これゆえ、
    12年前の1328年5月。
    ルートヴィヒ4世は、当時の教皇ヨハネス22世では無い元老院議員によって戴冠式を強行。
    この際にヨハネス22世を、教皇位を僭称した異端だと宣言しました。
    そしてイタリア人のニコラウス5世を新たに選定し、二人の皇帝が立ち並ぶという事件が発生。

    事件は、皇帝がローマを離れた直ぐ後に反乱が起き、
    ニコラウス5世対立教皇が廃位される事で片付いていたのですが……。

――………‥‥‥・・・ ・

     「それ以外にも、チュートン騎士団に対してリトアニア領有を勝手に許可したりしたしね。」
      「今では騎士団は国家としてバルト海沿岸に構えてしまっている。」
    「結局そういう積み重ねが、アヴィニョン教皇庁との溝をどんどん深くしていったって訳だ。」
      「そしてついには破門を言い渡されてしまう。」
   「で、皇帝陛下は、“これじゃいかん”と思って教皇との和解を模索。
    つまり、親イングランドでは無く、フランスにも和睦を示して中立的態度を取ろうとした。」
     「そしたら今まで親英だった周囲の公国は怒りだした、という事だ。」
    「踏んだり蹴ったりだね、皇帝陛下も。」―――………‥‥・・

―――――――………‥‥‥・・・‥‥‥………―――――

・・‥‥……―――――バルト海―――。

―――広大なブランデンブルク選帝侯国の北に面するドイツ北海の国々……
   西から、メクレンブルク公国、ボンメルン=ヴォルガスト公国、ボンメルン=シュテファン公国。
   これらのバルト海岸沿いの土地は紀元前よりゲルマン系部族が、ゲルマン人大移動後にはスラヴ人も入って来ており、
  まとめて『ポメラニア』と呼ばれていました。
  この地方には何本も川が注ぎ込んでいましたが、内陸部の土地は痩せており農業に適さない。
  この為海岸の街々を越えて内陸部に入ると、ただただ森が拡がっている土地でした。

  ボンメルン両公国よりもさらに東へ100km程、ポメラニア地方の最東部の港ダンツィヒ。

この町よりも南東に50km程の地点、長閑なヴィスワ川の下流に、赤い屋根のさほど大きく無い城。

――マリエンブルク城。
     この城には、白地に黒十字の旗が立てられていました。

城の庭では、同じ黒十字の鎧を身に付けた兵士達が訓練をしていました。

    『チュートン騎士団』

彼らは東方の非キリスト教民プロイセン人のキリスト教化を目指し、神聖ローマ帝国領よりも東方のこの地に拠点を設置しました。
1280年頃にプロイセンの植民化は最盛期を迎え、その地をほぼ制圧し、領土を拡大しました。

海岸の港町ダンツィヒをポーランド王国から奪ったのは1307年の事。
古くからこのポメラニア地方を巡ってデンマーク、神聖ローマ帝国、ポーランドなど各地が争っていました。
本領に海を持たないポーランドの北部にチュートン騎士団が住み着き、以後もポーランドと争い、その国の持つバルト海沿岸の都市全て占領しました。

あれは3年前―――1337年。

     「総長。皇帝陛下より宣旨を賜わりました。」

部隊長が総長に渡した手紙―――。

「≪チュートン騎士団に対し、
ポメラニア地方より東方にある国である『リトアニア』、『ルーシ』の領有を正式に決定する。≫

 そうか……。
 ルートヴィヒ4世皇帝陛下は、未だ非キリスト教の民であるスラヴ人の国を我々に与えると言ってきた。」

     「つまり、その国を獲れというお達しか……。」

「そういう事だな。皇帝陛下も人遣いが荒い。
 我々はポーランドとの争いは絶えないというのに、さらに東の海を制せと言うのか。」

     「さらに北の海、という言い方も出来る。
      こんな細い土地を、どうしたいのだろう。」

「『ハンザ同盟』を完全に掌握するのが目的だ。
 フランドル―イベリアの交易路に対抗したいのだろう。
 ハンザ同盟とは、12世紀以来、バルト海沿岸の都市を結んだ商業同盟団体。
 リューベックとハンブルクが結んだ同盟は拡大し、我々チュートン騎士団を含め、
 ノルウェー、スウェーデン、イングランド、神聖ローマ帝国、ポメラニア諸国、ポーランド等が加盟する大同盟団体になった。
 ネーデルラントの一部もこれに加盟している。
 この同盟の指導権を握りたいが為さ。
 ロシア方面への進出もこの一環。
 我々騎士団と、このハンザ同盟とは強く結びつく必要がある。
 もちろん我々とて、皇帝の犬で居続ける気はさらさら無いがね。」

     「ここポメラニア地方もプロイセン地方も、西方カトリック教会と東方正教会の両方が共存する世界。
      特にリトアニアは、非スラヴ人で有りながらルーシと共存を図ろうとする、侵攻の材料には十分過ぎます。
      完全にカトリック化を目的するならば、
      ロシア方面への侵攻は、騎士団の仕事としては正当となる。」

「それにロシアにはロシアの正教会が存在する。
 様々な考えが折り重なった土地。
 これらは我々カトリック教会から見れば、異端罪が適用されるという訳だ。」

     「では、東方遠征の日程を決めなくてはいけませんね。」

チュートン騎士団総長は頷きました―――……‥‥・・

・・‥‥……―――神聖ローマ帝国からその手紙が届いたのは3年前の1337年の事。

3年経った今では、本格的にリトアニアへの侵略が始まっていました。

―――1340年晩秋。

     「ところで、周辺都市で唯一ハンザ同盟に参加していない国、デンマーク。
      この国からエストニアを買い取る話は……、金額は決定したんですか?」

「うむ。
 デンマークは経済破綻や内部分裂などの影響で政治力が極端に低下していた。
 そして8年間も王位不在の状態が続いていたが、今年1340年、若干二十歳のヴェルデマー4世が即位した。
 彼は経済回復の為に、エストニア領を我々騎士団に売ったんだ。」

     「しかし、デンマークはハンザ同盟に加盟する気は無いでしょう。
      これによってまたデンマークが復興してしまえば、周辺国は好い思いをしません。」

「どこまで回復するか分からんが、まぁ、敵対するのであれば、我々で捻じ伏せてしまえばいい。」

     「まぁ、ご尤もな答えで……。」

ハンザ同盟とチュートン騎士団はこのように強く結びつき、バルト海の沿岸都市を次々と征服していました―――……‥‥

    ―――……‥‥・・・‥‥……―――

一方皇帝ルートヴィヒ4世自身は更に領土の拡大を進めていました。
バイエルンの南、ザルツブルク司教領の西に拡がるチロルへの攻撃が盛んになっていました。